#122 働き方と余暇 その2(2025年11月14日)

【つぶやき】

働く喜びの中には、一見その対極と見える「余暇を楽しむ喜び」が組みこまれていなくてはならない。一本の縄を綯うには、藁束を束ねた2本のひもを絡み合わせて行くのである。労働と余暇の2本が相互に絡み合わなければ丈夫な縄=生活は作れない。労働だけで人の生活を編むことはできないことを知るべきだ。

【コメント】

「馬車馬のように働くべし、ワークライフバランスなどは返上する」という勇ましいスローガンを掲げて登場したのは、わが国最初の女性宰相として内外の注目を集めている高市早苗新首相である。それも口先だけではなく、さっそく午前3時に出勤して官僚たちと所信表明演説の仕上げをしたというのだから、やる気満々なのでありましょう。しかし、これに対して各方面から怒りと半ば呆れたという批判が続出したのは無理もない。

 これを見てどこかで似たような批判があったのを思い出した。「…この非常措置は、その構想において全面的に失敗だったが、中にも日曜出勤制の実行は愚策中の愚策であった。官民諸機関を通じ、いたずらに勤労者の疾苦を増すのみで、実質において何ら能率を増進する所がない…」。読者はこの文章は、誰が誰に対して投げつけたものか思い浮かぶだろうか。正解は、戦局の悪化を背景に昭和19年8月に退陣した東条英機首相に対して、『東洋経済新報』の主筆であった石橋湛山が歯に衣を着せずに書いた「社論」である。全国民に「日曜返上」を呼号して「月月火水木金金」の標語を生み出した東条内閣に対して「そんなことで能率増進などできるわけがない」と、日曜日(つまりは余暇)の価値を主張して噛みついたのは、筋金入りの自由主義に依って立つ石橋湛山であった。湛山はすでに大正期から、全植民地の放棄と自由貿易の振興こそが国を富ます要諦だと主張して止まなかった。敗戦後の日本はまさに湛山の路線を突き進んで経済大国に成りあがったのである。

 石橋は戦後、政界に入って自民党の2代目の総裁になり、昭和31年には首相にもなったのだが、病気のため惜しまれながらふた月ほどでその座を降りてしまった。その何代目か後の新総裁は、懲りもせずに「余暇の撲滅」に邁進し、東条さんの轍を踏もうとしているかのようだ―まさか戦争までおっぱじめるのではないでしょうね。前首相の石破さんが言い残してくれているように、歴史に学び、その教訓を忘れてはなるまい。

 それにしても、この国のエライ人たちはどうしてこうも「がんばり」が好きなんだろう。目をふさがれた馬車馬よろしく、ひたすら狭い視野に甘んじて一心不乱に突き進む。一息入れて広く周囲を眺め渡すことを忘れ、始めによく考えもせずに決めただけの道を、ふりかえりも反省もなく猪突猛進、その向こうには大きな奈落が口を開けて待っているかも知れないのに。

 余暇というのはただの休息でも怠けでもない、一端歩を止めて広く周囲を見渡すというところに余暇の意味がある。余暇は身体の偏りと歪みを正し、心のゆとりを取りもどし、来し方行く末を見直して、人としてのあるべき道を、自分と社会についての最善の方策を探り出すためにこそあるのだ。馬車馬の眼隠しを取って、全体を眺め直し、どのコースがいちばん走りやすい、また走るべき道かを考え直す―それなくして望ましい目的地に着くことはできない。余暇を奪えば国民は文字通り「馬鹿」になる、正しい判断を放棄して、為政者に騙されて破局の道を行くしかなくなるのだ。余暇を擁護し、適切なる余暇を回復する運動に「官民挙げて」取り組むべき秋である。

《執筆:じぃ》


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