#116 自由 その2(2025年9月14日)
Posted by | Posted on 2025/09/14 8:00
「自由」というのは、哲学的な言葉でもあり、様々に議論されてきた。 なにごとにも妨げられずに行動できる自由。 自分の意思で自律的に生きる自由。 選択の可能性は自身に委ねられるという自由。 余暇はまさに自由な時間。私たちは、余暇に自由を体現できているのだろうか。
毎月ひとつのテーマを、世代の異なる3人の余暇研究者が執筆し
じい(薗田碩哉)・マダム(辰巳厚子)・ヒメ(青野桃子)
Posted by admin | Posted on 2025/09/14 8:00
「自由」というのは、哲学的な言葉でもあり、様々に議論されてきた。 なにごとにも妨げられずに行動できる自由。 自分の意思で自律的に生きる自由。 選択の可能性は自身に委ねられるという自由。 余暇はまさに自由な時間。私たちは、余暇に自由を体現できているのだろうか。
Posted by admin | Posted on 2025/09/04 8:00
余暇の核心にあるもの、それは何だろうか。余暇にはいろいろなバラエティがあるが、どんな余暇にも含まれていて、それがなくなったら余暇が余暇でなくなってしまう、肝心かなめの余暇の精髄―それは「自由」というものだ。自由なくして余暇はない、余暇とはまさしく自由を満載した時間のことなのだ。
Posted by admin | Posted on 2025/08/24 8:00
推しのコンサートで、生きる力をもらったと言う人を羨ましく思う 「この日のために、仕事頑張ってきたんだもん。私にとってはお祭りよ」 「元気出たけど、明日からまた日常。次のコンサートまで、頑張れるかなあ」と。 生活に変化を与え、エネルギーをチャージする時間・場は「非日常=ハレ」 推しのコンサートは、現代的祭りなのか?
Posted by admin | Posted on 2025/08/14 8:00
お祭りは地域の歓びである。同じ町に生きて暮らしていることを老若男女が共々に祝福しあうことが祭りの要諦である。昨今、祭りが衰退したり消滅したりするのは地域社会の力が落ちてきていることの何よりの証左だ。祭りを取り戻すことは地域を取り戻すことに直結している。
Posted by admin | Posted on 2025/08/04 8:00
夏休みの楽しみのひとつとして「お祭り」がある。毎年地域のお祭りに出かけるのが恒例というひともいるだろう。しかし、近年は担い手不足などで存続が難しくなっているようだ。また、「○○フェス」のようにかたちを変えたイベントも広がってきている。