#088 大学の余暇講義 その1(2024年12月4日)
Posted by | Posted on 2024/12/02 22:42
大学の講義にも「余暇」をテーマにしたものがあっていい。実際、今世紀初頭までは、あちこちの大学に余暇論があったのだが、だんだんに少なくなり、余暇論の草分けだった立教大学コミュニティ福祉学部の「余暇生活論」が今年度で姿を消すという。現実の余暇の貧困化が進む中、余暇論義さえも消えていく。それでいいのか。
毎月ひとつのテーマを、世代の異なる3人の余暇研究者が執筆し
じい(薗田碩哉)・マダム(辰巳厚子)・ヒメ(青野桃子)
Posted by admin | Posted on 2024/12/02 22:42
大学の講義にも「余暇」をテーマにしたものがあっていい。実際、今世紀初頭までは、あちこちの大学に余暇論があったのだが、だんだんに少なくなり、余暇論の草分けだった立教大学コミュニティ福祉学部の「余暇生活論」が今年度で姿を消すという。現実の余暇の貧困化が進む中、余暇論義さえも消えていく。それでいいのか。
Posted by admin | Posted on 2024/11/24 8:00
趣味の習い事やお稽古ごとを長く続けている人の幸福度は高いらしい。 習い事やお稽古のために、教室に通い、先生から教わり、仲間に刺激を受けながら、腕を磨いていく。一朝一夕には上達しないし、趣味といえども楽しいことばかりではない。 しかし、発表会や展示会で披露できる腕前までになれば、達成感もひとしおだ。 こうしたプロセスが幸福度を高めるのだろうか。
Posted by admin | Posted on 2024/11/14 8:00
習い事やお稽古は、人が他の誰でもないその人らしく、個性的に生きていこうとするなら、無視することのできない課題である。日本人は昔から、男も女も、老いも若きも、好みに合った芸を身に着けることを素養の一つとしてきた。晴れの場面で披露できる芸の一つもないようでは、人として恥ずかしい……この感覚をいまでも大切にしたいものだ。
Posted by admin | Posted on 2024/11/02 19:36
おとなになると、教えたり伝えることが増え、教わる機会は少なくなっていく。 しかし、新しいことを知る喜びや、今まで触れてこなかったものができるようになることで得られる達成感は健在だ。 たとえば、ラジオの外国語の講座に取り組んだり、カルチャーセンターなどに通っているひともいるのではないだろうか。 子どものころのように強制されるものではなく、自分の意志で選んだものだからこそ、積極的に楽しめるのかもしれない。
Posted by admin | Posted on 2024/10/24 8:00
労働と余暇を切り替えるスイッチが、どうやら壊れかけている。労働に余暇が入り込み、余暇が労働になるみたいな「オン-オフ融合」が新しいライフスタイルであるかのように言う人もいるようだ。しかし、それは労働が余暇を取り込んで、人々をもっともっと働かせようという資本の陰謀じゃないのか。