#063 花見の季節 その3(2024年3月24日)

【つぶやき】

花見の方法はさまざまだが、醍醐味はどこにあるのだろうか。

視覚、味覚、嗅覚など、あらゆる感覚で楽しむことができる。

ガイドブックにも載っているような花見スポットで、近くの公園で、自宅のベランダで…花見のスタイルを模索してみたい。

【コメント】

 今回のテーマ「花見の季節」初回担当のジイから、「余暇の花」について問いが投げかけられた。ジイは、「大らかで開放的で快楽的な雰囲気」それとも「わが道を愉快に前進する秘めたる境地」、マダムは「自由な心」だと書いていた。「そもそも余暇とは何を指すのか」という定義自体が非常に難しく、字義通り読み取れば「余った暇」なのだが、では「何から余ったのか?」と疑問が積み重なっていく。今回はとりあえず、テーマに沿った形で具体的に「花見の醍醐味はどこにあるのか」を考えてみたい。

 マダムが歴史的にも整理していたように、大勢で楽しむ花見、ひとりでゆったりと過ごす花見…と楽しみ方はさまざまである。一緒に出掛けたい友人に声をかける、ちょうどよいきっかけになるかもしれない。花見は視覚、味覚、嗅覚など、あらゆる感覚で楽しむことができる。私自身、これまで「映え写真」には懐疑的だったが、最近は思い出をよみがえらせるきっかけのひとつとして、写真も欠かせないと思うようになった。

 先日、思い出写真を収集・整理・発表する機会があり、そこで1枚の集合写真からたくさんの話題へと広がる様子を目にしたのだ。今は手軽に写真を撮影できるようになった分、かしこまった写真よりは、日常のふとした一コマが増えて、スマホに入れっぱなしのことも多いかもしれない。しかし、ホームで電車を待つ間などにチラリと見返してみると、案外面白い。大勢での花見であれば、カメラが趣味というひとを撮影係に任命するのはどうだろうか。もちろん、写真だけのために食事を無駄にしたり、道路に飛び出たりというのはいろいろと問題だと感じているが、写真を通した思い出の残しかたは確かにあるように思う。

 ひとりで桜に心を動かされるもよし、桜以外の要素も含めて楽しい気分になるのも素敵だ。正解がある話ではなく、どの花見なら100点満点と評価されることもない。というわけで、私が今考える「花見の醍醐味」は「心を動かされること」にしておきたい。そしてそれは余暇自身の花でもあるように思う。

 桜が咲くころは、送迎会の季節でもある。4月から新しい環境に飛び込む人もいるだろう。希望と不安が混ざるなかで、あなたらしい花見を探してみてほしい。

《執筆:ヒメ》


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