#086 習い事・お稽古 その2(2024年11月14日)

【つぶやき】

 習い事やお稽古は、人が他の誰でもないその人らしく、
個性的に生きていこうとするなら、無視することのできない課題である。

日本人は昔から、男も女も、老いも若きも、好みに合った芸を身に着けることを素養の一つとしてきた。

晴れの場面で披露できる芸の一つもないようでは、人として恥ずかしい……この感覚をいまでも大切にしたいものだ。

【コメント】

 お茶やお華の習い事、ピアノやバレエのお稽古と言えば、女の子(特に嫁入り前の娘たち)のイメージが色濃くあるが、かつては男の子もお習字を習ったり、柔道・剣道の稽古に(男の場合は「お」は付けない)通うのは珍しいことではなかった。子どもだけではない、母親はお琴やお三味線のお師匠さんのもとに通い、父親も休みの日に「謡(うたい)」の稽古に出かけるというのも中流以上の家ではごく日常的だった。
 身近な町内に、習い事の師匠が住んでいたり、柔道、剣道の町道場があるのも珍しくはなかった。横浜の下町で昭和20年代の子どもだった筆者の記憶でも、ウチは5丁目だったが4丁目には三味線の師匠がいて、粋な黒塀見越しの松の瀟洒な家に住み、いつもトンテンシャンと三味線の音が響いていた。あのおっしょうさんは誰それのお妾(めかけ)さんだよ、と近所のおばさんが教えてくれたが、オメカケさんと言うのがよくわからなかった。隣りの町内には剣道場もあって竹刀を担いだ子どもや若者が出入りしていた。碁会所と言うのもあって、こちらはいつも年配のおじさんたちが集まって、碁盤をはさんで難しい顔で睨めっこをしていた。囲碁もまた一種の習い事であり稽古であったと言えよう。
 現在では、これらの習い事文化は、ピアノやバレエの教室や公民館の講座やカルチャーセンターに受け継がれて健在だとは言える。しかし、かつての習い事やお稽古が日常の町の暮らしに溶け込んでいたのに比べると、現在のもろもろの「お教室」はどこかよそよそしい感じがしてならない。そしてそこに通うのは圧倒的に子どもたちであり、おとなの習い事や(お)稽古は昔に比べてむしろ後退しているような気がするがどうだろう。おとなの場合、それらは圧倒的に女性に偏って、男性の習い事の方は、むしろ明治から昭和前期の昔の方が活発ではなかったろうか。(この辺はマダムによる実証的な検討を俟ちたい)。

 余暇論の視点から言えば、こうした日常生活に密着した芸能文化を活発にすることが、一国の文化そのものを向上させる余暇運動になると思う。習い事もお稽古も、その基盤となるのは日常的な余暇であり、余裕である。残業に追いまくられ、連日深夜の帰宅、週末にも出勤というような働き詰め生活では、習い事もお稽古もつけ入る余地がない。その場合、日常のわずかな余暇時間は、メディアとの接触による受け身の気晴らしに流れ、たまに得られた休日は、陰惨な日常を忘れ、欲求不満を解消するためのお出かけ型の活動、非日常余暇に傾くことになる。それでも五感の快楽と元気回復は得られるかもしれないが、他の誰でもないわが個性を正面に押し立て、「自分を耕す」趣味を追求するのは望み薄であろう。
 習い事・お稽古を、それも働き人たちのそれらを回復・確立することこそが、この国の活力を取り戻す要諦だと思われる。

《執筆:じぃ》


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