#096 時間のゆとり その3(2025年2月24日)

【つぶやき】

「時間のゆとり」は、時計で計測される時間を節約することで生まれる。

しかし「ゆとりの時間」は違う。ゆとりは、人間の心の内にある時間。まさにミヒャエル・エンデの「モモ」の時間だ。

「灰色の男たち」に、自分自身や生きることを奪われてはならない。

エンデは50年以上前に警告していたのだった。

【コメント】

 我々は常に時間がないと感じているし、「時間のゆとり」が欲しいと願っている。
 「時の記念日」に発表した「セイコー2024時間白書」の調査結果は、「灰色の男たち」の暗躍を思わせる。生活の心情を表す言葉は「『イライラ』が1位」。70.8%の人が『時間に追われ』、60.8%の人が『1日24時間では足りない』」と回答。また、「現代人の約6割が『タイパは社会に定着した』と実感、わからないことは『考えるより検索』、スマホなしで考える時間は『5分以内』」というのだ。
 しかし、一方でこんな回答もしている。何事もタイパを高め効率を優先したい「タイパ派(47.3%)」に対して、効率に縛られずに生活したい「じっくり派(52.8%)」に分かれ始めている。「タイパに違和感」や「タイパは押し付け」との回答も増えてきたことから、効率重視のタイパ疲れの兆しも現れ、この調査では「時間との向き合い方にゆれる現代人」と、今の状況を解説している。
 こうした時間に対する「ゆれ」は、新たな時間の向き合い方を見いだすのか。
 我々はこれから、時間をどう生きていくのだろうか。

 フランスの経済学者・思想家ジャック・アタリは「時間の歴史(ちくま書房)」の中で、人間が時間をどう捉え、扱い、それが社会のなかでどのような役割を果たしてきたのかという時間観は、歴史の中で生まれてきたと論じている。時を測る機械の変遷・進歩(日時計⇒ゼンマイ⇒重錘⇒クオーツ)と社会の事象や思想の関係を追ったこの本は、時間に興味を持った人に是非お勧めする1冊だ。
 古典時代は、季節や宇宙サイクルの中で循環する「神々の時」だった。中世は労働や食事や睡眠といった生活リズムと結びついた「肉体の時」だった。
 近代は「機械の時」。産業革命以降、時間は正確に計測され、労働時間や学校の時間は管理されていくようになった。そして効率化や生産性が時間の価値を決定する、まさに「時間=金」となる。「時間を節約しなければ」という強迫観念こそが、経済発展の原動力となって、資本主義を成長させた。
 大量生産により、モノが仕事にとって代わるようになる。家庭に入り込んだ電化製品は、家事労働の負担を減らし、時短に役立った。洗濯機を使ったりテレビを見たりする時間が姿を現わすと、かつて共同洗濯場や夜の団らんでみられた、休息とコミュニケーションの時間は消滅してしまうのだった。
 そして余暇も健康も、工業製品やサービス消費に「肩代わり」されるようになり、本来の意味での人間性の回復を忘れていくのだった。
 そして現代は、クオーツ時計による「コードの時」。クオーツ時計は電子による制御。瞬間的な時間伝達、地球規模の同期性、普遍的な世界時間となって、世界は恒常的な徹夜状態となって動いていく。そして社会全体がプログラム化された時間を生きることになる。

 そんな現代社会においても、アタリは未来に希望を失わない。「各人が固有のリズムを規定し、他者によって作られた時間を買うよりも、自らの手で創り出すことを選ぶ〈自己の時〉を創造しなければならない。つまり、他者の時に沿って押し流されるよりも、自己の時を生き、他者の機械によって繰り返される音楽を聴くよりも、自分自身の音楽を演奏すること」だと。
 モノを消費する代わりに、各自が自ら自由のカタチを創り出せる「固有の時間を生きよ」というこのアタリの言葉は、冒頭に紹介したモモの時間を生きることでもある。
 時代は変わったのではなく、人間が変えてきた。流れは、人間の意思で変えられるのだ。

《執筆:マダム》


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