#125 余暇の容れ物 その1(2025年12月4日)

【つぶやき】

 余暇はどんな「容れ物」に入れるとその良さが引き立つだろうか。
何と言っても余暇にふさわしい「容れ物」は船である。
彼と彼女がデートの折りに小さなボートに乗って漕ぎ出したりするのもささやかな余暇の船だが、客船、それも数万トンの大船で、大洋を航海するのに勝る「余暇の容れ物」はないだろう。

【コメント】

 クルーズ船の旅が人気を博している。豪華客船に乗り込んで、大海原を眺めながらゆったりと時間を過ごす。三度三度の食事をシャンデリアの輝くレストランで優雅にいただくと、後は特別にするべきことはない。デッキチェアに日がな一日ぼんやりしていても誰にも文句は言われない。片っ端から本を読むのもよろしい。相手を見つけて碁・将棋・チェスに麻雀、ボードゲームもより取り見取り。運動したければデッキには走るコースもあり、ジムもプールだってある。人付き合いがしたければサロンやバーに行って相手を探し、お茶をするなり一杯飲むなり、夜にはダンスパーティも催される。およそ、余暇のメニューで思いつくようなものはほとんど揃っている。そして船に乗っていること自体が「旅」というまたとない余暇なのだ。

 かつて筆者もクルーズ船の「飛鳥」に連れ合いと共に乗船したことがある。列島の南の方に行って、ちょっと一回りしてくるという程度のお試し乗船に過ぎないのだが、それでも客船の旅の優雅さ、多彩な経験の面白さを十分堪能することができた。毎日が日曜日の気ままな生活、ご馳走に舌鼓を打ち、美酒に酔いしれ、音楽会を楽しみ、乗り合わせた誰彼と取り留めない話に興ずる―映画の「タイタニック」を地で行く世界であった。この「飛鳥」で世界一周を楽しむ人がゴマンといるという事実にも驚かされる。上級の客室を取れば1千万円からの費用が掛かるようだが、それでもお客さんは絶えないようで、ここには格差社会日本の一断面が巨大な余暇格差として現れてもいる。

 友人がこの間、奥方とともにピースボートに乗って3カ月余の世界一周を果たしてきた。ピースボートは豪華客船と比べれば比較的安い費用で、地球を回ってこられる。観光とお楽しみばかりでなく、学習会が催されたり、船内のサークル活動が奨励されたりという、いわば「社会教育」的なプログラムも豊富で、根強い人気があるようだ。友人によると、乗船している1400名の大半が高齢者で、平均年齢76歳だという。それこそさまざまな高齢者仲間の活動が花開いているようだ。友人によれば「動く老人ホーム」だというので、全くそうだねと笑ってしまった。男性の乗船者は、永年連れ添った連れあいをあの世に送った独身者が目立つそうだ。ご婦人方もやはり、独り身になってのびのびと世界一周の旅に出た人が多数のようだが、夫婦連れで参加の高齢者だと、奥さんはさまざまな活動に参加し、お付き合いもにぎにぎしくやっているのに、ご亭主は日がな一日海を眺めて「クジラを何頭見た」とか言っている人が多いとのこと。

 友人夫妻は地域の合唱団に所属しているので、ピースボートでも退屈しのぎに「合唱しませんか」の呼びかけをしてみたという。すると忽ち数十人が集まり、合唱の練習に明け暮れるようになった。参加者の中には合唱経験者もいるけれど、合唱なんて初めてという人も多く、友人夫妻は発声練習から合唱の指導・指揮まで、これまでは一団員として楽しんでいただけなのに、一歩も二歩も前進して合唱指導者の役割を担うことになった。以来、練習を重ねて、旅の終わりに近くなって催されたお別れ会では、ホールに集まった乗船客を前に、堂々の混声合唱(女声が3分の2を占める)を披露して喝采を浴びた。その折の録画を友人に見せてもらったが、地域の音楽会に出ても恥ずかしくないような出来栄えだった。

 巨大な客船に乗り合わせて長い時間を過ごす船の旅は、多彩な余暇開発の機会になることは間違いない。船にはさまざまな「余暇」が同船していて、これまでできなかった活動に触れ、新たな挑戦の機会を得ることができる。また、乗り合わせた仲間たちと新しい余暇に挑み、新たな余暇文化を創造することもできる。実際、今回出来上がった船上の合唱団は陸(おか)へ上がってからも連絡を取りあい、一緒に歌う機会を創ろうとしているとのこと。友人夫妻が参加する暮れの音楽フェスティバルにも船の歌仲間が応援に来てくれるとのことである。

 こうした「余暇の船」を始めたのは、1930年代のドイツはナチスのレクリエーション組織「歓喜力行団」である。大きな客船に労働者を載せ、ドイツから地中海への船旅を実施してたいへんな人気を博した。ナチスの余暇善用政策はなかなかのものであった。その後、日本でも、「青年の船」や企業が主催するの「船上研修」が実施されてきたのだが、研修や教育というお堅い目標ではなくて、徹底して自由で、創造的で、徹頭徹尾楽しい「余暇の船」を仕立ててアジアの海に乗り出し、近隣の国々との市民交流を進めたいものだ。そのためには二日、三日のコマ切れ余暇ではなく、一週間から何カ月にも及ぶ「まとまった余暇」を、高齢層ばかりでなく壮年層に保証することが欠かせない。余暇の旅は世界平和の基礎になる営みだ―そのために、もっともっと長い余暇をみんなで勝ち取ろうではないか。

《執筆:じぃ》


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