【つぶやき】
都市のいちばん都市らしいイメージは「賑わい」というものだろう。
ではその賑わいの正体は何なのか。賑わいのおおもとにあるのは「楽しい気分」だと思われる。
多くの人が集まって何となく楽しくなる、そのためにはその人たちが自由な余暇の雰囲気を共有することが欠かせない。
余暇と遊びこそが賑わいの原点、端的に言えば、都市を支える原動力は余暇の力なのだ。
【コメント】
都市の原型はまち=町、そして町というのは村と村をつなぐものとして誕生した。日常生活の場は「村」で、そこでは家族を基盤とした共同生活が営まれている。自給自足が土台だが、生活に必要な材料や道具を何でも自給できるわけではない。そこで村に有り余るものを持って出かけて行き、村に必要なものを探し出して持って帰る―そのための出会いの場として「市」が開かれ、そこに東西南北の村々から荷を担いだ人々がやってくる。市は周辺の多くの村と村をつなげる結節点であり、物と物、物と金銭が交換される舞台となった。最初は特定の日を決めて集まっていた(二日市とか十日市とか)が、次第に常設されるようになり、特定の物品を扱うさまざまな商店が軒を並べる。かくして「町」が生まれ、町に固有の文化も育っていった。
……これはまあ、歴史の常識だが、ジイはこれに余暇学的観点を付け加えたい。町に集まったのは人々とその労働の成果である産品だけではない。余暇もまた町に集まったのである。近郷近在の人たちはそれぞれの余暇を(それとは知らずに)町に持ってきたのだ。それらの余暇は集まって大きなエネルギーとなり、多様な余暇文化を生み出した。
まずは大道芸から始まる芸能である。村の生活の中から生まれた歌や踊りやスタンツ(妙技)は町へ持ち込まれて集まった人々に披露され、やんやの喝采を浴びるうちに、それを専門にする芸人が育っていく。彼らは町から村々へ出かけて行って大道芸人として活躍した。ジイの子どものころにはそうした大道芸がまだ生き残っていて、小さな太鼓をたたいて面白おかしく歌いながら飴を売る叔父さんとか、角付けで尺八を吹く虚無僧とか、とんぼ返りをする角兵衛獅子とか、いろんな芸人を路上で観ることができた。
諸芸が大道から抜け出して専用の拠点=盛り場、見世物小屋、芝居小屋を持つようになると、町は市(いち)のレベル(経済)から文化芸能のレベルにまでその機能を広げることになる。日本の伝統芸として今は高く評価されている能・狂言にしても、その始めは「田楽」という田植えの前に豊作を祈願する芸能だったという。ジイの考えでは、その芸が町に集まって競い合うことによって農村行事から飛躍して都市の芸能に進化したのだと思う。町の広場で女性の色香を売り物に客を集めた出雲阿国の歌舞伎踊りが、幕府の禁制を受けて変容、女性に代わって若衆が登場し、さらに今日観るような歌舞伎に進化したというのは文化史のイロハである。町に集まった余暇の精華が洗練され、町に固有の遊びを生み出し、それが町に独特の雰囲気を与え、町の持つ魅力ともなって行った。あっさりとまとめれば「余暇が町を支え、町を作った」のである。
近代化と共に、各地の町は大きく発展し、近代工業の場となったり、商業の中心地となったりして行くが、同時に人々の「余暇の場」としても重要な意味を持つようになる。東京や大阪や京都を始め、都市にはそれぞれの明確な個性が存在するが、それは余暇や遊びのイメージと切り離しがたく結びついていることを忘れることはできない。地域社会の衰退が言われる中で、どこへ行っても「まちづくり」が行政の課題になっているが、町を作る原動力は「余暇の力」であることを強調しておきたい
《執筆:じぃ》