【つぶやき】
ゲームと言えば思い出すのは子ども時代の盤面ゲーム。
それに続く、青春期の人間交流型のゲーム。
そしてテレビゲームから始まって、今やそれなくしては日を送れないさまざまなITゲーム。人の一生をさまざまなゲームとの付き合いの歴史として見ることもできる。
いやいや人の一生こそが変幻自在の尽きないゲームなのかもしれない。
【コメント】
ゲームの老舗は盤面ゲームだろう。その歴史は古い。方形の盤面にさまざまなコマを並べて闘うというスタイルで思い浮かぶのはまずは将棋である。日本の将棋は頭のとんがった5角形の王将や飛車や角行が活躍するが、韓国や中国へ行けばこれが丸いコマで名前はチャンギ(韓国)とか象棋(シャンチー/中国)となる。西欧のチェスもゲームとしては同形だが、コマは立体的で、キングと並んでクィーンもおいでになり、クィーンの方が日本の飛車・角を合わせたような自在な動きができる所がいかにも西欧流だ。もともとこの種のゲームの起源はインドにあるようで、それが東西に伝播して、さまざまなバリエーションを生んだのだ。
子どもの頃の盤面ゲームで忘れられないのがダイヤモンドゲームである。正三角形を2つ、頂点をずらして重ね合わせた6頂点の星型の1つの三角面に並んだコマを順番に動かして行って、向かいの三角面へ全てのコマを先に移動させ終わった方が勝ちとなる。馬跳びみたいに相手のコマを飛び越えながら移動させるのが楽しく、それなりの作戦も必要で頭を使うゲームでもあった。今でもあるのかどうかネットで調べたら、ちゃあんとあるのですな。美しくにデザインされたダイヤモンドゲームが欲しくなった。
中学生のころに知ったのが「モノポリー」。カトリックの学校で、神父さんがアメリカからもらってきた?ゲームだから、英語版で、遊びながら英語の勉強にもなったという優れもの。すごろくみたいにサイコロ振って、止まった場所を買い取ると、次にそこに来てしまったメンバーから地代が取れるという、不動産屋を地で行くルール。しかも、その場所に新たな投資をすると、地代が途方もなく高くなって、運悪くそこに嵌ったやつを破産させることもできた。いかにもアメリカ的な、資本主義の教育ゲームだった。
カードの束があってそれを引くといいこと/悪いことがあれこれ出てくる。最悪のカードは“Go to Jail”(監獄へ行け!)という奴で、これを引いてしまったら出所するまで何もできなくなる。この言葉はわれわれの合い言葉になり、何か失敗をやらかした仲間に、みんなが揃って「ゴーツージェイル!」とはやし立てるのが習慣になった。
盤面ゲームは、小さな四角い領域で完結するホイジンガ的遊び世界だが、子どもから少し成長して青春期になると、別種のゲームの世界が開けた。それは小さなコマではなく人間そのものが遊び道具になって生み出す交流ゲームの世界だった。いわゆる じゃんけんゲームやパン喰い競争みたいな、さまざまなハンディを課した競争ゲーム、 何人かのチームを作って力を合わせて課題に挑戦する協力ゲーム…。これまた多種多様なゲームがあって、それらをまとめて体験し合う「集会レクリエーション」という場面に魅せられて深い入りし、とうとうレクリエーション・ゲームの専門家になってしまった。
子どもから高齢者まで、実に様々なゲームの場でのゲーム展開に打ち込み、これまでいくつものゲームの本を世に問うた。その中でいちばん愛着のあるのは『みんなの協調ゲーム』という小さなハンドブックだ。ゲームと言えば競争に傾斜しがちだが、あえてそれを振り切って、競争しない、競争を否定するゲームの世界を追求してみた。これも実はアメリカが先鞭をつけて、Non-competitive Gamesと名付けられた面白いプログラムがたくさん産み出されている。とどのつまりは、老若男女、誰をも包摂する大きな遊びの世界、あらゆるゲームはそこに収斂していくのだと思う。
《執筆:じぃ》