#107 余暇学 その2(2025年6月14日)

【つぶやき】

 「余暇学」は、余暇の社会的格差、政策・制度的背景、消費依存やレジャー産業の商品化などに対して、多面的かつ批判的なまなざしを併せ持つ学際的領域である。

 そのなかで、人間中心的、文化的に「余暇学」を語るなら、人間が自己や社会と向き合う時間としてのその意義を探究し、身体性・精神性・関係性の回復を試みること、また、労働とのバランスをとった人間らしい生活の実現や、西欧の余暇哲学だけでなく、日本的な美意識(もののあわれ、余白、間など)を現代生活に活かすことも重要な関心領域だ。

【コメント】

 先日のニュースで、出生数が70万人を下回ったことが報道された。いよいよ少子化も深刻だ。少子高齢化や人口減少社会にあって、成長のために働き続けるモデルや永遠のGDP成長は恐らく限界が来ているであろう。
 また、モノは豊かになったが、幸福感が高まらない日本人。余暇が消費社会に取り込まれた結果、人生の意味やつながり、ゆとりや心の豊かさと言った幸福が希薄化している。さらに、格差や排除、環境破壊、うつ病を招くストレス社会なども広がっている。こうした課題に対し、「余暇学」は人間の時間の再構成と、社会全体の価値転換に、一石を投じることができるのだろうか。

 これから、われわれはどんな社会や生活を望むのだろう。経済成長一辺倒から脱却し、真に豊かな社会をどう描き、創造していくのだろうか。こうした社会の状況下、個人にとっては「仕事も余暇も自己を豊かにする手段として再定義すること」と、社会にとっては「余暇を社会全体の一つの価値目標にすること」が重要となろう。恐らくこうしたことは、成熟社会に入り30年来言われてきたのだが、なかなか真剣に向き合ってこなかった。高度資本主義の限界の先にある新しい豊かさを見つけるのに、余暇への問いは一つのヒントになろう。

 余暇問題へのアプローチとしては、余暇の課題を解決する実践的支援としての制度や政策を考える「工学モデル」と、余暇の意味や価値そのものを問い直し、社会に新しい視点を与える「啓発モデル」というのがある。
 例えば「工学モデル」では、余暇施設を人口や利用率によって最適化したり、観光政策を交通網と利用率に基づいて調整したり、高齢者の運動や社会参加が健康にどう効果を与えているかを測定したりするといったような、実証研究や統計分析であり、行政計画や政策評価、課題の解決に用いられる。2000年代以降、余暇の問題は個別の領域に分散化し、「工学モデル」のアプローチが中心となった。
 一方「啓発モデル」は、余暇は人生を豊かにする時間であり、仕事同等に価値がある、あるいは自己実現は、仕事だけにあるのではなく、趣味、家庭、政治参加など多様な場にあるといった考え方を普及することだ。また、余暇における平等性やジェンダー格差や所得格差によるアクセスの問題を取り上げたり、消費型余暇を批判し、地域活動やスローライフなどオルタナティブな生き方を提案したりするといったことだ。

 このように、工学モデルは制度設計や政策立案に貢献し、啓発モデルはその土台となる価値観の変革を担うという点では、両者は双方向的に支え合う関係にある。
 最近では「週休3日制」の働き方が登場してきた。3日の休暇がスキルアップや生産性につながり、何よりも優秀な人材確保につながると「工学モデル」の発想で企業は導入している。しかし、週休3日の企業が現れた今こそ、余暇を創造性、思索、関係性の時間として、内面的な豊かさのために使い、人間の生き方や余暇の本質が再定義される機会にしてほしい。

《執筆:マダム》


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