【つぶやき】
「自由」な時間ができたら、何をしたいか? 旅行、趣味、スポーツ・・・・・
やりたいことがあれば時間は作れる、という意見もあって、もちろん個人差の大きいものだ。実際のところは、自由な時間にやりたいことを考える余裕がない、そもそも自由な時間がないので何をやりたいか考えるほうがむなしい、ということもあるのではないか。
そのようなことを少し解きほぐして考えてみたい。
【コメント】
マダムが「時間でいえば、仕事や家事、義務や生活維持の活動から解放される自由な時間がまさしく余暇だ」と書いていたが、この「自由時間」かなり曲者だ。
筆者の研究対象のひとつは、余暇・レクリエーション・自由時間であり、歴史的、政策的にどのように捉えられ、推進/否定されてきたのか、これまで少しずつ明らかにしてきた。ダイジェスト的にいえば、労働とセットで語られてきた余暇から、独立した自由時間へ、という流れがある。しかし、実際のところは自由時間の土台には生活や社会があるため個別に考えることはできず、自由時間の周囲の状況を含めて広く研究している。
少し具体的に考えてみよう。たとえば、週休2日の場合、1日は家事労働、1日は趣味の時間とする。しかし家族の行事やイベントがあるかもしれず、平日の労働が長ければ、残された家事は1日では終わらないだろう。労働の心身の負担が大きい場合には、まずは休息が必要だ。めざましをかけずにゆっくり寝たい、お昼までゆったり過ごさないと起き上がることができないといった意見もあるだろう。
次に総務省の世論調査(国民生活に関する世論調査)をみて、社会的な状況を確認してみたい。2025年1月に公表されたデータを見てみると、「ゆとりがある」とする者の割合が65.0%(「かなりゆとりがある」の割合15.7%と「ある程度ゆとりがある」の割合49.4%との合計)なのだが、40~49歳を見てみると「休んだり、好きなことをしたりする時間のゆとり」がないとの回答が半数以上になっている。そして、自由時間にしていること(複数回答)として「睡眠、休養」を挙げた者の割合が54.3%、自由時間が増えた場合にしたいこと(複数回答)でも「睡眠、休養」(29.4%)は第3位だ。ここからは、もししたいことがあったとしても、そもそも自由時間が不足している状況が見えてくる。
もちろん経済的な余裕の問題も大きい。「お金のかからない趣味・自由時間の過ごしかたもたくさんある」のは事実だ。しかし趣味自体にお金がかからずとも生活の維持に必要なお金が不足している場合は、空いている時間にスポットワークを入れることになり、結果的に時間のほうがなくなっていく。自由時間が少ない状況ではやはり「休息」を最優先していくしかない。世論調査でも人気の余暇は「旅行」だが、費用をあまりかけずに楽しむにはどうしたらいいのか、何か情報を調べたり、自分で思案したり…ここで時間的余裕の話に戻ってくる。
余暇は時間的・経済的な自由、そして発想の自由さも関わってくる、おもしろくてやっかいなものだ。そしてそこまで自由でもないのが余暇の現状だといえよう。
《執筆:ヒメ》