【つぶやき】
自然に癒され、自然から学ぶ。
自然はあって当たり前ではなく、多くのひとの手が入って現在の姿になっていることもある。
豊かな自然に感謝し、それらを守り育てていくために何ができるのか考えながら暮らしていきたい。
【コメント】
マダムが整理したように、自然とのふれあい方は時代によって変化している。SNSで映えるコンテンツとして消費されてしまう恐れがあるが、それも自然が「あって当たり前」だと思っているからではないだろうか。つまり、どのようにその自然が作られているのかはあまり意識されていないのだ。
たとえば、まちの中の自然に目をむけてみよう。近所の公園のなかに石碑のようなものが建っていることがある。よく読んでみると、その一帯はかつての自然堤防の名残であって、大規模な治水工事を経て、現在の公園が作られているという。その周囲の田畑には必要な川であっても、たびたび水害を引き起こしていては、人びとは暮らすことができない。そのため、流れを整え、災害が起こりにくいように、多額の費用と時間をかけて工事が行われたのだ。そのため、少し古い地図を見てみると、わたしが建っている場所にはもともと川が通っていて、いまの県境になっているという。現在の地図で県境と川が一致していないのを不思議に思っていたが、そのような経緯があったのだ。
関西の自然豊かな観光地というと六甲山が有名だ。アスレチック施設やケーブルカーなども整っており、新緑や紅葉の季節は多くの人が訪れる。しかし、六甲山も昔から自然に恵まれていたわけでなく、明治初期には荒廃していたという。水害の原因を取り除くため、また生活用水確保のために、水源地植林がおこなわれた結果、現在の自然豊かな六甲山が作られた。また、レクリエーション的な利用も並行してすすめられた。つまり、歴史的に開発されてきた自然といえよう。
参考:神戸市ホームページ
神戸の近現代史 https://www.city.kobe.lg.jp/culture/modern_history/archive/history_11.html
六甲山に限らず、人間の手が入っていない森というのは案外少なく、定期的に間伐をおこなうなど「手入れ」されることで、森が保たれているのだという。近年は毎年のように自然災害に見舞われているが、異常気象が原因なのはもちろんのこと、管理や手入れが行き届かなくなっているからというのも大きい。その担い手不足や技術的な継承の難しさもある。
「経済効果」というわかりやすいものに直結することばかりもてはやされているが、実際にはコツコツと日々の暮らしを支える営みがあって、今の生活があることを忘れてはいないだろうか。自然の有難さに感謝しながら、自然を守り育てるために何ができるのか考えていきたい。
《執筆:ヒメ》