【つぶやき】
余暇の容れ物と聞いて、すぐに頭に浮かぶのは、「複合型ショッピングセンター」。
これは、客を如何に長時間ショッピングセンター内にとどまらせ、消費させるかという企業側の戦略なのだが、ショッピング、レストラン&カフェ、映画館、劇場、子どもの遊び広場、ゲームセンター、温浴施設、スポーツジムやゴルフの打ちっぱなし、カルチャーセンター、イベント広場などがあり、時間潰しに事欠かない。
でも、それに劣らず、今や寝る場ではなく「遊ぶ場」となった我がマンションの話をしよう。
【コメント】
全く毛色の違うところで、「余暇の容れ物」として思いついたのが、築40年以上を経た、1200世帯ある大型の我がマンションである。設備としては、建設当初よりテニスコート3面、子ども用プール、8つの集会室、遊具公園、広場が備わっている。マンションでは、テニスクラブ、野球部、ゴルフ部、園芸部、パソコン部、ペットクラブなどが自治会の承認を受けて活動している。また、老人会も組織されているが、そこでは、お食事会や体操教室、歩こう会、スポーツ吹き矢や合唱サークルなどがあるようだ。子どもに関していえば、子ども会は作られなかったものの、合唱とハンドベルの会や夏休みテニス教室などがある。また、集会室では、コントラクトブリッジや麻雀のほか、さまざまな趣味活動が愛好者を集めてなされている。
季節イベントもこの40年間欠かさず続いてきた。1月のもちつき、8月の夏祭り、11月から3月まで続くイルミネーション、12月のクリスマス会は、紆余曲折はあったものの形を変えながらも、住人の手で作ってきた。
コミュニティが希薄といわれる都市のマンションにおいて、何故「余暇の容れ物」にまで成長できたのか。
一つには、ディベロッパーが主導してきっかけを作り、それが途切れることなく住民の力で続けられてきたことにある。
1980年代後半の入居当時は、子どもが幼稚園や小学校に通うくらいのファミリー層が多かった。都内に通勤する夫がいない日中はママさんテニスが盛んだった。この頃は、ディベロッパーが力を入れて夏まつりやクリスマス会などを主導してきた。この力は大きい。時はバブルだったこともあり、協賛してくれる近所のホテルなどからは、お食事券や宿泊券などの提供もあり、豪華賞品の当たるビンゴゲームは全世帯が参加する盛り上がりをみせた。
バブル崩壊後は、いつの間にかディベロッパーが手を引き、自分たちでイベントをやっていくしかなくなった。イベントのノウハウは既に住民に身についていたので、子ども中心ではあったが、手作りの神輿やお揃いの法被で工夫して盛り上げた。出し物は、輪投げや的当て、お菓子掴みなどお子様用ではあったが、焼きそばや焼きおにぎり、カレーなどは皆で手作りし、大人も楽しんだ。部活動サークルでは、ビールやワインの販売やリサイクル市を行った。
いつの頃からか、夏祭りから盆踊りの櫓は消え、コロナが流行して以降は、自分たちで作った食べ物の販売もなくなり、キッチンカーに出店してもらうようになった。子どもの数はめっきり減り、ステージでは、老人会の合唱、フラダンスの披露、有志のバンド演奏などシニアが大活躍している。
二つには、人材である。1200世帯もあると、さまざまな技能をもった人がおり、その時々で力を発揮してくれる。スポーツ、音楽、アートの得意な人。企画、運営、設計、パソコン、力仕事の得意な人。総じて「楽しむ」ということには、みんな前向きで協力的であった。
三つには、住民の年齢があがり、時間的な余裕があるという人が近年増えてきたことだ。時間があると人はこんなにも積極的になれるのかというほど、イベントの手伝いには大いに手があがる。仕事をリタイアした層にとっては、マンションがいい居場所になっているのではないかと思われる。
市内には、我がマンションのほかにも、大型マンションが幾つもある。それぞれのマンションで余暇活動が活発に行われており、マンション対抗のスポーツ大会も盛んだ。
コミュニティの絆が強くなったかは別として、遊ぶことに主体的になれるのは、大いに結構だ。
《執筆:マダム》