【つぶやき】
運命、偶然、幸運。世の中には人間の理性では完全に理解できない偶然性というものが存在する。だから神のみぞ知る「運」に賭けたいと思うか、そんな曖昧さに身をゆだねることなく、日々精進する努力を貴ぶべきか。国によって、宗教観や歴史的な社会構造や運命観が違うのだろうが、やっぱり遊びとして、時には「賭け」を楽しみたい。
【コメント】
日本では刑法により賭博は原則禁止されているが、例外的にいくつかの公営ギャンブルが認められている。まずは、利用者からみた市場規模を追っている「レジャー白書2025」から、制度化された賭けの現状を見てみよう。公営競技(競馬、競輪、競艇、オートレース)の売り上げは、13年連続増加。コロナ禍進んだデジタル化が功を奏して、若者層を取り込んでいる。スマホで出来るインターネット投票、キャッシュレス決済、ライブ中継のショート動画は、臨場感ある観戦がスマホ一つで体験できる。ややグレーゾーンと言われるパチンコ・パチスロは、貸玉料(プレイヤーが遊ぶために借りた玉やメダルの料金)からみると、最盛期は30兆円産業と言われたが、今や16兆円規模に半減してしまった。とはいうものの、レジャー市場全体が75兆円、国内観光が約9兆円というから、いまだかなりの割合を占めている。一番参加者の多い賭けは、宝くじやスポーツ振興くじtoto。宝くじは、高い年齢層に支持されてはいるが、少しずつ販売額が減少している。一方、totoは1等最高当せん金12億円のMEGA BIGが好調。サッカーファンの購入が多いらしい。
宝くじは、賭けというよりは「夢」を買うと考えている人が多いのではないだろうか。誰もが、「1等6億円が当たったらどうしよう」と一度は考えるのでは。「仕事を辞めて世界一周の旅にでも出るか」「豪邸と外車でセレブ気分か」「当せん金を元手に株を買って倍にするぞ」。くじは結果次第で、一瞬にして現実生活・現実社会を突破する魅力があるのだ。確率論的には低いが、買わなければチャンスはなく、もしかして当たれば人生が変わる大きな可能性がある。まさに不確実な状況では利益の大きい選択に賭けるのが合理的という「パスカルの賭け」で納得する。
近代以降、賭けやギャンブルは、禁止されながら利用されてきたという矛盾がある。マックス・ウェーバーが論じたように、近代の資本主義は勤勉、節約、労働に価値を置いた。だから、運任せにお金を得ることは怠惰な生活とみなされ、また地下化、犯罪化するような賭けは悪とされた。日本では、民間の賭けやギャンブルは禁止されるが、国の管理下で制度化するのはOKとなった。宝くじや公営競技は、国や自治体の財源となり、震災復興や国土緑化、市町村振興に役立てられている。だから、負けた時も「社会貢献した」と自分を慰められる。
今、IR(Integrated Resort 統合型リゾート)の建設が大阪万博の跡地の隣で進行中である。カジノ、国際会議場、ホテル、エンタメ施設、レストランのある大型レジャー施設だ。IR建設には賛否両論あった。ギャンブルへの依存は常に危険視されてきた一方、娯楽・観光施設として経済の起爆剤にしたいといった思惑が大きい。大阪府は、国の監督下、責任下で、「世界最高水準の規則の下での公正・廉潔なカジノ施設」を謳っている。でも、そんな真面目な文言は、遊びとしてのカジノに似合わないように思える。それより、ジイの言う通り、自分の行動に責任の持てる自立心をもった利用が求められるのだ。
日本初のカジノは成功するか否か、みなさんどっちに賭けますか。
《執筆:マダム》