【つぶやき】
列島のあちこちで「熊」が例年になく多数出没して里を荒らし、挙句は人間に噛みついて命を落とす人も少なくない。長く保たれてきた熊と人との平和共存が脅かされている背後には「自然」の異変がある。日本の自然は明らかに壊れ始めている。
【コメント】
昨年の秋ごろから東北地方や北海道でのクマ被害の異常な増加がたびたび報道されてきた。クマに襲われてケガをしたり、それが元で命を落としたり、クマに喰われてしまった人までいる。まことに由々しき事態である。
クマの大量出現の理由はいろいろ取りざたされている。昨年はクマが冬眠のためにたくさん食べる必要のある山のドングリが不作で、食べ物を求めて里まで降りて来たとか。村里には美味しい実のなる柿の木もあれば、人家に入り込めれば、もっと珍しい食べ物が豊富にある―そこで侵入したクマが冷蔵庫を開けて中の食材をたらふく食べていたなんていう話も出てきた。
クマを里に呼び寄せた原因の一つに耕作地の放棄がありそうだ。日本の農業は今世紀に入って急速に縮小しつつあった。農地はかつての600万ヘクタールから400万ヘクタールに、3分の1も減っている。かつては山の奥まで耕されていた畑は、耕す人がいなくなって次々に荒れ地と化し、そこにシカだのイノシシだの野生動物が進出してきたのは以前からよく聞く話だった。クマもその後に続いてやってきたに違いない。元をただせば、人間が野生動物たちを呼び込んだということになる。
山の畑から人里まではほんの一歩である。猛暑や乾燥の影響で奥山が荒れれば、野生動物たちが里を目指して降りてくるのは理の当然で、これを止める手立てはない。畑を荒らされるのはまだしも人の命までアブナイとなっては、鉄砲隊を組織して動物たちの「駆除」にかかるというのも必然の流れである。親熊が撃たれ、その子熊が路頭に迷って裏山をさまよっている光景など、いかにもあわれを催す。
今西錦司博士が自然の原理として提唱されたのは「棲み分け」ということである。生物は環境の多様性を利用して互いに棲み分けて共存を図っているという。滅多に人の寄り付かない奥山の自然林にはクマやシカが棲み、山奥の畑にはイノシシやキツネ、放牧地にはウシやウマやヒツジ、里山にはタヌキやウサギ、そして人里にはイヌやネコとニンゲン様―という具合に棲み分けて、おたがいの領分を守ってきたのであった。
それが深山を切り開いてドライブウエイなんぞを作り、別荘地を開発して人間が入り込む。世代を超えた息の長い生業(なりわい)である林業が衰退して、人工林は保守もできずに荒れ放題。自然と人間が共存して、お互いに働きかけ合い、緑を守りながらその恵みを活用させてもらうという、理想的な環境であった里山も、住む人が都会へ逃げ出して、雑木の生い茂るただの藪になっていく。棲み分けも何もあったものじゃない。これでは山深く、自分たちの世界を守ってきたクマやシカやイノシシが、越境してくるのも宜(むべ)なるかな。
「自然保護」というお題目は、多くの人が異議なく賛成するテーマなのだが、そもそも大自然を人間が保護して上げましょうなどという発想自体が思い上がりもはなはだしい。自然の営みの全体を尊重し、人間の営みを見直して、暮らし方そのものを自然に合わせていく―それができなければクマたちがおとなしく山に帰って行くはずがない。
《執筆:じぃ》