【つぶやき】
趣味の習い事やお稽古ごとを長く続けている人の幸福度は高いらしい。
習い事やお稽古のために、教室に通い、先生から教わり、仲間に刺激を受けながら、腕を磨いていく。
一朝一夕には上達しないし、趣味といえども楽しいことばかりではない。
しかし、発表会や展示会で披露できる腕前までになれば、達成感もひとしおだ。
こうしたプロセスが幸福度を高めるのだろうか。
【コメント】
今、お稽古教室や習い事の場が、街から消えようとしている。個人の教室もカルチャーセンターも激減だ。前回じいから、かつては習い事やお稽古が日常の町の暮らしに溶け込み、大人や子どもが出入りしていた光景が語られていたが、それはもはや遠い昭和のノスタルジーとなってしまった。
子どもに関していえば、都市におけるほど習い事は盛んであるが、一つの事を長く続ける習慣は少なく、実際どこの教室でも生徒は小学校低学年までが中心になっている。最近よくピアノの先生から聞く話だが、ほとんど家で練習せずに通ってくる子どもが増えたそうだ。親が忙しく子どもに練習するよう言わないのか、子ども自身の時間がないのか事情は定かではないが・・・。確かに、学校で必須化されたダンスや英語、プログラミングなど学ばなくてはいけないものも多くなり、教室通いも忙しい。
こうした子どもの状況は大人社会の事情を反映したものだといえる。ある一定レベル出来るようになったら、次のお稽古(塾も含む)へ進む。才能がないと思えばやめて、他のお稽古を試す。成果主義と効率重視が、子どものお稽古や習い事の世界にも持ち込まれている。当然、大人自身の習い事やお稽古も同様で、タイパやコスパの悪いものは好まれない。目の前に楽しいことが多くあり、じっくり時間を掛けて上達していくような趣味の習い事やお稽古は敬遠されがちだ。
1970年代に登場したカルチャーセンターは、趣味のデパート、お稽古の百貨店と言われ、女性に大変人気だった。伝統的日本文化から新しい海外の文化まで多種多様な講座が用意された。いつでも誰でもが学びたいだけ学べる自由さがあり、先生と生徒の関係も、茶道の家元制度などと比較すると気楽だった。しかし2000年代前半までは盛況であったが、今では先生も生徒も高齢化して、すっかり斜陽産業となってしまった。趣味が多様化したこと、不況でお稽古事までお金を掛けられなかったこと、女性が働くようになり昼間の時間帯に通えなくなったこと、決まった日時の拘束を嫌うようになったこと、パソコンやスマホでの学びの機会が増えたことなども影響しているであろう。
こんな寂しい現代のお稽古事情ではあるが、私は、お稽古や習い事を続ける人の方がやらない人に比べて「幸福度が高い」ということに注目している。一時日常を離れ、好きなことに打ち込む時間を持ち、地道にスキルや知識を上げていく。努力の積み重ねによって得られる達成感は、深い喜びや味わい深い楽しさである。そのプロセスにおいては、師の励ましや導きがあり、また仲間との交流や切磋琢磨がある。上手になれば、人前で披露したり、教えたりすることもできる。こうした没頭やポジティブな感情や達成感こそが、幸福度を高める心理的メカニズムそのものなのである。
習い事やお稽古を始めるのに年齢は関係ない。好きなことにじっくり向き合う時間と心のゆとりが欲しい。
《執筆:マダム》