#037 コロナの禍福その1(2023年7月4日)

【つぶやき】

やっとのことでコロナが沈静し、日常が戻りつつある。

コロナはとんだ災難だったが、コロナがもたらした「福」もないわけじゃない。

日本人がまともに取り上げようとしなかった「余暇」の値打ちを

コロナは深いところから教えてくれたのではなかろうか。

【コメント】

 この3年間、全世界を席巻したコロナ禍は、日本人の生活のあらゆる面に大きな打撃をもたらした。その中でも我々の働き方が大きく変わらざるを得なかったことは特筆に値する。朝早くから満員電車に詰め込まれて職場に赴き、定時に帰ることなどめったにない通常残業で深夜に帰宅という生活が否定されたのだから。在宅勤務という形態が広がり、平日は顔を合わせることも少なかった妻子と過ごしながらオンラインでお仕事というのが当たり前のスタイルとなった。通勤電車はガラガラになって、押し合いへし合いの筋肉運動がなくなり、ために運動不足を(かこ)つサラリーマンが増えた。身近な公園で散歩したり体操したりするのがリタイアした高齢者ばかりではなくなってきた。 

 ILO(国際労働機関)が一日8時間制を宣言したのは100年前のことである。1日24時間を3分して、8時間は労働、8時間は睡眠、そして残りの8時間で個人と家庭の生活を営み、自らの楽しみを追求するという、まことに分かりやすい原則が世界の常識になったのである。ところがわが日本は、その後、ただの一度も1日8時間労働をクリアしたことがなかった。女工哀史に代表される昼夜12時間の交代勤務が当たり前、戦争期になると「月月火水木金金」という標語で土曜を抹殺したこの国では、8時間労働なんて夢のまた夢だった。戦後、労働基準法が定められ、1日8時間労働が明記されたものの、悪名高い労基法36条の規定(サブロク協定)があって、規約を作って多少の割増賃金を払えばいくらでも労働時間を延ばせるというザル法に過ぎなかった。かくて世界に冠たる残業王国は、高度成長の繁栄期はもちろん、平成30年の不況期を経ても、微動だにすることがなかった。

 ところがである。コロナが直撃した2020年、日本の男性勤労者の一日の平均労働時間が初めて8時間を切ったのである(女性は短時間勤務者が多く、従来から労働時間は短い)。これは言うまでもなく、労働組合の時間短縮闘争の成果ではさらさらなく、コロナ禍によって通勤を抑制され、やむなく自宅勤務をせざるを得なくなった結果に違いない。ILO結成100年を経て、その第1号条約(一日8時間労働制)を批准する条件が整ったと言える。ちなみにわが日本はいまだにILOの原点である第1号条約を批准できていないほとんど唯一の国である。これを批准するためには国内法をILOの要請に合わせなければならないが、残業野放しの労基法36条がある以上、批准したくてもできないのが現状なのである。

 一日8時間労働の徹底は、当然、残業撲滅による余暇の発生、週休2日制の徹底、有給休暇の長期化等の余暇拡大に結び付く。これをコロナの恵みと言わずして何というべきか。コロナの災いを福に転ずる1つの道がここから開けてくるはずである。

執筆:じい


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