#015 余暇は戦争を止められるか(2022年3月24日)

【つぶやき】

2月24日の「よか」の日に突如始まったロシアによるウクライナへの侵略、
プーチンの野望に発した無謀・理不尽・残虐な戦争は1か月たっても終わらない。
世界中の世論がこの戦争に反対して、ロシアの非を訴え、
ロシアに対する経済制裁も始動しているが、
独裁者プーチンは国内にもある反戦の声を抑え込んでミサイルを撃ち続ける。
毎日毎日、罪のない市民たち、女性や子どもの屍が積み上げられていく。

余暇などというものは戦争の前にはいかにも無力だ。
この厳しい状況を前にして余暇を語ること自体が
無意味どころか非難の的になるかもしれない。

それでも我々は主張したい、
余暇こそ平和の礎なのだと。

【解説】

 プーチンが戦争を始めた動機は、かつてのソ連時代の偉大なるロシアを回復することにあると言われている。
旧ソ連崩壊後、勢力圏だった東欧諸国が自律性を回復し、経済的に豊かな西側諸国への親近感を高め、EUに加盟したり、その軍事組織であるNATOへの加入を進めたりしてきた。
ポーランドやチェコまではまだ我慢のうちだが、ほとんど兄弟のように考えてきたウクライナまでが西になびくのは許しがたいというのがプーチンの理屈なのだろう。

 戦争を引き起こすのは個々の市民ではない、必ず国家である。
国家という、この途方もない存在は、交戦権なるものを持っていると勝手に主張して、目障りな相手にロケット弾を撃ち込むことを国家の権利だと言う。
プーチンのような独裁者は、国家を自分の思うままに動かして、多くの平和的なロシア国民の願いを無視し、弾圧して国家の名を騙っておのれの戦争を始めたのだ。

 大国が何千発もの核弾頭を貯蔵している今日、全面戦争は確実に人類の滅亡をもたらす。
戦争はもはや不可能なのだ。その戦争を永久に抑え込むためには、戦争を始めかねない危険極まりない存在である国家に何らかの歯止めをかけること、将来的には国家自体を廃絶することを目指さなくてはならない。
その点、国の交戦権を否定する日本の憲法第9条は、人類の手本となる先進的な憲法である。
これを改正して外国に向けてミサイルを撃ちたいとか核兵器を持ちたいとかいう輩は、プーチン同様、今日の戦争の真の帰結を想像することのできない幼稚な野蛮人に過ぎない。

 国家を作る力は労働にある。国民が一生懸命に働くから国家が成り立つのである。反対に国家を解体するのは余暇である。
みんながのんびり余暇に入ってしまえば、生産は停滞するだろうが、少なくとも、他の国へ押し込んで人殺しをしようなどという思いは生まれてこないはずである。

 江戸時代、徳川幕府の260年は天下泰平の平和な時代だった。同時期のヨーロッパが戦乱に明け暮れる中で、対外戦争は絶えてなく、国内の戦乱も小さな百姓一揆ぐらいしか起きず、武士の鎧兜は無用の長物、刀は差してもめったに抜くこともなく、武士は武芸よりも遊芸を好み、要らなくなった鉄砲の火薬は転用されて花火になった。夏の隅田川の夜空を彩った大玉の輝きはまさしく平和の象徴だった。
町人たちは歌舞音曲を嗜み、銘酒と料理を楽しみ、相撲を取ったり射的で遊んだり、長い休みには弥次喜多道中の大旅行に出かけた。
多彩な江戸の余暇文化は、戦争のない平和な世なればこそ可能だったのである。

 余暇は平和の土台である。余暇を大切にすることは平和を確かなものにするために不可欠の課題である。
ウクライナに攻め込んだロシアの兵士たちよ、同胞を殺戮するような野蛮な仕事は放棄しよう。
今すぐ銃を捨て、余暇を取り戻して故郷に帰ろう。
ロシアの春はもうすぐそこまで来ているのだ。


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