#026 バカンスとその起源(2022年7月14日)

【つぶやき】

今日は7月14日、今年(2022年)はたまたま満月の日だが、
この日は世界史を揺るがした記念日であることをご承知だろうか。

1789年7月14日は、フランス革命勃発の日である。
パリの民衆が立ち上がってバスティーユ監獄を襲って囚人を解放、
そこから動乱が始まってとうとう長く続いた王政が打倒され、
市民が主人公の近代社会が始まったことは、みなさん歴史で習った通りだ。

かの地では「フランス国民祭典」の祝日で、日本では「パリ祭」の日として知られている。
この日には革命とともに、もう一つ大切な意味がある。
お祭りを楽しんだら、いよいよ待ちに待ったバカンスが始まるからだ。
この日を境に、老いも若きも仕事から解放されて、長い長い余暇の季節に突入する。

【解説】

 7月14日〈フランス語でカトーズ(14)・ジュイエ(7月)は特別な日だ〉は、国民の祭典の日であるとともに、このあたりからバカンスを始める区切りの日でもある。
フランスの勤労者は一般に5週間程度の有給休暇を持っているが(わが日本はせいぜい2週間、それも大抵の人は半分しか取れていない)、休みが集中するのはやっぱり夏で、多くの市民は太陽を求めて地中海の海辺や南部プロバンスの田舎、あるいはアルプスの高原地帯などへ出かけていく。
パリから各地へ向かう高速道路は、生活用品を詰め込んだ車やキャンピングカーで大渋滞となる。飛行機を奮発してエキゾティックな東洋を目指す人もいる。
日本へもコロナ以前はたくさんのバカンス客がやってきていた。パリの人口は半減し、目立つのはアフリカからやってきた出稼ぎの労働者、人が減るので道路工事やビルの修復工事なんかが盛んになる。
だからパリの街と人を楽しみたければ、バカンスの時期なんかに行ってはダメだ。

 長いバカンス、さぞやお金がかかるだろうと多くの日本人は心配する。
確かに、海外に飛んで長期にホテルに滞在したら相当な出費になるわけだが、そういうバカンスはお金持ちに限られる。普通の市民はもっと安上がりなバカンスを楽しんでいる。
ヨーロッパ中どこへ行ってもゆったりしたキャンプ場があるし、地中海の海辺には政府が開発した巨大なバカンス村もあって安価に泊まれる。食事もコンビニで買ってきたような簡素なものだ。
旅と言っても彼らは我々のようにちょこまか動いたりせずに、海辺や緑の中でひたすら太陽を浴びて余暇そのものを楽しんでいる。

 キャンプ村に行ってみると、ご婦人方はみな簡易ベッドに寝転んで豊満なお身体を惜しげもなく日に晒していて、いっかな動こうとはしない。
傍らで小さな火を起こしてコーヒーを淹れたりソーセージを焼いたりしているのはみな男性諸君である。おいしい野外料理の1つや2つできないことには、まともな男(夫)とは見てもらえないというわけだ。
我々日本人も温泉旅館で上げ膳据え膳というスタイルだけではなく、自然の中で簡素に閑雅に時間の流れを楽しむ「バカンス術」をもっと開拓する必要がありそうだ。

 ヨーロッパの夏に長いバカンスが確立したのはなぜだろう。
それはかの地は「麦作」の社会であり、秋に蒔いて初夏に収穫するから夏はゆっくり骨休みのできる農閑期なのだ。その上、全体に気温の低い土地だから、暖かい夏は自然からの得難い贈り物だ。
高緯度で特に長い暗い冬を余儀なくされる北欧となると、夏には日光浴が必須である。
彼らは海岸や野原はもちろん、街の通りでもはばかることなく、それこそスッポンポンで夏の陽を浴びている。これをおろそかにすると、くる病(骨軟化症)というコワい病気になる可能性が増すという。

 翻ってわが方を顧みれば、ここは「稲作」の社会である。
初夏に田植えして秋に収穫、夏は草取りに追われながら稲の生長を見守る大切な時期であり、とてもじゃないが暑いからと言ってのんびり休んでなどいられない。
それでも猛暑でブッ倒れてしまっては元も子もないから「お盆」という小さなバカンスを作って、夕涼みをしてスイカを食べたり、親元に帰ったりしてしばしの息抜きをする習慣を生み出してきた。
しかし、今や田んぼを耕す農家はひと握り、大多数の人は街暮らしなのだから、日本社会ももっと夏のバカンスの拡大に取り組んでもいいのではないか。
最近のハンパでない夏の暑さに対処するには、ヨーロッパと反対に北を目指すのが日本的バカンスの王道であろう。夏の「北帰行」を定着させて、「金」を使うのではなくて「時」を豊かに使う余暇術を追求しよう。


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