#033 遠慮なく休もう(2022年9月24日)

【つぶやき】

職場から休暇をもらうとき、上司や同僚に対して
「申し訳ありません、休ませていただきます」と恐る恐る申し出て、
何度も頭を下げてやっと認めてもらうというのが日本の職場の日常風景だ。
間違っても「俺は休むぞ」なんて堂々と言ってはいけない。

家族の不幸が出来(しゅったい)して、急に予定の仕事を放り出して休みを取るならともかく、
決められた有給休暇を取るのでさえ、周りを気にして平身低頭...
これってやっぱりおかしくないだろうか。
定められた有給休暇は働く者の当然の権利なのだ。
大手を振って、遠慮なく休もうではないか。

【解説】

 労働法の規定では、働く者の権利として休んでも給料を差っ引かれない「有給休暇」が定めれている。新入社員でも入社して半年後になれば、またその期間、全労働日の8割以上出勤していれば、10日の有給休暇が与えられることになっている。しかし、新米が半年働けたからと言ってその年に10日の有休を堂々と取れるような職場はそんなに多くないだろう。
もちろん法が定めているのだから、要求すれば休めるはずだが、「ロクに仕事もできないのに生意気な」という周囲の冷たい視線を浴び、嫌味を言われるのは目に見えている。この国では休むこと=怠けることという強固な方程式があって、休みはモーレツに働いた後の報酬としてのみ与えられる上の方からの頂き物という観念があるのだ。

 今はどうかよく知らないが、昔の学校では「皆勤賞」というのがあった。戦前の学校では「優等賞」がまずあって、成績の良い子は全生徒の前で校長先生から表彰してもらえた。それとともに勉強はダメでも毎日頑張って登校して一日も休まない子には「皆勤賞」が与えられた。
戦後は「民主化」が進んで?優等賞は無くなったが私の子どもの頃には「皆勤賞」は残っていた。
「休まないことはいいことだ」という思いは小さいころから日本人の心に刷り込まれている信念なのである。それに逆らって休むことを要求するには相当の勇気がいる。勇気を支える実力や実績も必要になるだろう。

 有給休暇は勤続すれば毎年増える。規定では6年6カ月以上働けば年間20労働日の有休がもらえることになっている。これはILO(国際労働機関)の規定する有休3労働週という規定に見合っている。しかし、EU諸国の規定はこれを超えて4労働週である。1年間のうちほぼ1カ月は休んでいい日ということだ。この規定によって西欧の長いバカンスが可能になっている(北欧では6週間に及ぶところもある)。
わが日本では勤労者の有給休暇の平均付与日数はおよそ15日だが、この取得率は何と50%で休暇の半分は空しく捨てられているのである。私は毎年、この取得率のチェックをしているのだが、もう何十年も50%の線をちょっと上がったり下がったりして増える気配がない。
コロナで少しは上向くかと思ったが、どうもそうでもないようだ。大事な「自分の時間」を惜しげもなくゴミ箱に捨てる社会、これでは休みを取るのに蛮勇を振るわねばならいことになる。

 「人を大切にする経営学会」というすてきな学会があってその会長である坂本光司氏が東京新聞夕刊のコラムを書いておられるが、その66回目にこんな話が載っていた。
ある中小企業を訪れたら有休取得率が30%だという。社長さんに低すぎると苦言を呈したら、その社長「ウチの社員は仕事の方が楽しいのでなかなか休んでくれない」と嘯(うそぶ)いたと。この会社では休みを取ったら後ろ指を指されるに違いない。
一方、高知県にある不動産の会社で従業員満足度が高く、顧客満足度も最高というモデル企業があるが、有休消化率は100%、職場では従業員が互いに助け合う雰囲気に満ちているという。

 「24時間働けますか?」という栄養ドリンクのキャッチコピーは広く知れわたっているが、もはやそんなモーレツ社員の時代ではない。老大国日本は徐々に、確実に沈みつつあるのだ。
それを救うのは非人間的な長時間労働ではなく、取るべき休暇をおたがいに保証し合い、心とからだの健康を大事にする風土を育て、みんなが活かしあえ職場をつくることである。
勤労者の皆さん、遠慮なく休みを取りましょう。


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