#028 「旅」はいつから「食べ」になった?(2022年8月4日)

【つぶやき】

本屋を覗くと旅の本のコーナーがあり、
北海道から沖縄まで、各地の旅のガイドブックが並んでいる。
表紙の写真には名だたる観光地の美しい風景が使われているが、
本文を開いてみると、名所旧跡はホンの付け足しで、
はじめから終わりまで食べ物満載グルメの本だ。

昔の旅行案内はこうではなかった。
その土地の歴史に始まり、景勝地や神社仏閣を紹介、
遊園地や動物園や水族館はもちろんだが、
温泉案内や山歩き、ハイキングのコースが掲載されて、
歩き方の解説はあっても食べ方の説明はほとんどなかった。

かつての旅の本はいまや「食べ」の本に変貌した。
これは進歩というべきか、退歩というべきか。

【解説】

 本屋に行くと旅の本のコーナーがあって、日本全国はもちろん、ヨーロッパからアメリカ、アジア、アフリカまで世界中の旅のガイドブックが並んでいる。その中の国内旅行の本をパラパラめくって見ると、カラフルなページを埋めているのは、食べ物また食べ物である。まずは名産の肉やら魚やら野菜から果物までの紹介があり、それを使った料理を食べるなら、あの料亭、このレストラン、デザートならこちらのカフェ…という次第で全冊グルメガイドになっている。

 もちろんよく見ると、その地の有名観光地?自然景観から温泉、古いお寺など歴史的建造物、動物園や水族館やレジャーランド、さらには宿泊施設や交通案内などの情報も紹介もされてはいるが、どう見てもそれらがメインではなく、美味しい料理をたらふく食べた後の腹ごなしに訪ねてみてはどうですか、という感じなのだ。旅の喜びの核心にあるのは今や「たび」ならぬ「食べ」の楽しみということのようだ。

 余暇人碩翁の若いころはこうではなかったな、と思って、昔むかしの旅行案内を探してみた。手に入ったのは日本交通公社の『最新旅行案内7 伊豆・箱根』という小ぶりの本、発行年は1962年の改訂版である。今からちょうど60年前に出た本だ。表紙には箱根の芦ノ湖とその向こうに雪を頂いた富士山を望むカラー写真が印刷されている。このガイドブックは北海道から九州まで主要な観光地を網羅した20冊ほどのシリーズで、当時は各地の本を何冊も持っていたことを思い出す。

 開いて見ると全体を湘南、箱根と熱海、伊豆、伊豆七島の4部に分けて、それぞれまずはその地域の特色と歴史が丁寧に紹介されている。鎌倉ならば、源頼朝や鎌倉時代の解説に始まり、建長寺、円覚寺から始めて古いお寺それぞれの由緒や建築の説明が続く。箱根ならば、まずは箱根の地形を解説して温泉の概要を述べ、それぞれの温泉の泉質、泉温、効能などが記されている。どんなコースで周遊すればいいか、いくつもの事例を上げて、所要時間や料金が細かく書かれている。旅行案内の主要な内容は「地誌」だと言っていい。旅とはその土地を見に行くことだったのである。

 食べることに関する記述はどれくらいあるか探してみた。ほとんど皆無と言ってよい。わずかに1つ「天城の味覚」という3分の1ページほどの囲み記事を見つけた。書いてあるのは名産ワサビの起源について。もう一つは「猪鍋」で、味の良さと料理法を示した後、「猪肉はどんなに熱い肉を食べても口の中を絶対にやけどしない」と書いてある。写真も何も添えられていない。

 旅も変わったものである。知らない土地を観に行く観光の旅は、美味しいものを食べに行くグルメの余暇に置き替わったということだ。「観る旅」から「食べる旅」への転換は余暇の充実なのだろうか、それとも余暇の退廃なのだろうか。


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