#001「余暇」って何だ?(2021年11月4日)

【つぶやき】

余暇とは「余った暇」と思われがち。
確かにそうだが、問題は「余り」の意味。
多くの人は、「余り=余計」と思っている。
つまり、余って要らない暇。
価値のないものだと思っている。

しかし、そうではない!
この「余」は「余裕」の余。
時間のゆとりであり、
豊かさを表す価値ある「余」である。

余暇は「余った暇」ではなく、
「余裕の暇」と考えよう!

【解説】

 われわれ日本人は「余暇」を大事にしていない。余暇は仕事が忙しくないときに、たまたま空いてしまった余計な時間、あれば儲けものだが、なければないで仕方がない、ぐらいにしか思っていない。
言い換えると、余暇ははじめから目標にはされていない。仕事の動向によってたまたま得られる「結果論」としての「余り物」に過ぎないのだ。

 しかし、よく考えてみてほしい。そもそも仕事は何のためにするのか。仕事によって暮らしを支え、余裕をもって、ゆとりある生活を楽しむために働くのではないのか。働く先にある、ゆったりした余裕の時間を獲得することが働くことの意味ではないのか。
仕事のために余暇があるのではなく、余暇のために仕事があるのだ。目標としての余暇=余裕の余暇こそが私たちが求めるべき本当の余暇の姿だ。

 かつて、暮らし全体が貧しく、長時間労働が当たり前だったころは、余暇なんてほとんど取れなかった。少しでも余暇という隙間があれば、身体を休めて疲れをとるための時間だった。
欧米では19世紀後半になって、労働時間を短縮して1日8時間に制限し、睡眠や食事に8時間を使い、あとの8時間は、生活をエンジョイする自由な時間=余暇とするという価値観が定着していった。
1919年にILO(国際労働機関)が設立されて、その第1号条約が1日8時間制を定めて以来、余暇は生活の大切な目標になっていった。欧米では週休2日制が広がり、長期のバカンスも定着していく。
目標としての「余裕の余暇」が生活に根付いていくのだ。

 残念ながらわが日本は、余暇の量も余暇の質もたいへん乏しい。余暇は相変わらず余計者で、余暇を返上して残業も厭わず、過労で死んだり、鬱になって自殺する勤労者が後を絶たない。
そろそろ発想を変えよう。余暇を余計者から救い出し、脇役ではなくて主役に据えた「新しい生活様式」を作り出そう。コロナ禍が私たちの働き方に大きな疑問を突き付けてくれた。
いまこそ余暇を「余った暇」から「余らせて有効に使う暇」へ転換させるべき時である。

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