#075 本屋さん その3(2024年7月24日)

【つぶやき】

私の生活に欠かせないアイテムの最たるものが「本屋さん」である。

本屋のない生活、本屋のない街、本屋を訪れない余暇というのは考えられない。

その本屋の中でも「古本屋」が占める位置は特別である。

新刊本の本屋さんがレストランだとすると、古本屋は私にとって老舗の蕎麦屋みたいなところで、魂を休めるために欠かせない場所なのだ。

【コメント】

「本屋さん」との付き合いはまずは小学生のころの「貸本屋」から始まった。商店街の一角のくすんだその店には、子ども向けの読み物がずらりと並んでいて、それを1冊手に取って本の後ろに挟んである小さなカードに記入して10円(ぐらいだったと思う)払って借りてくるのである。1日で返せばそのままだが、2日、3日と借りれば返す時に追加料金を取られるからできるだけ早く読まないといけない。貸本屋経由で読んだのは剣豪もの(猿飛佐助とか宮本武蔵とか)、冒険もの、探偵ものなど少年小説が主だった。

 中・高生になるとその本屋さんが実は「古本屋」でもあり、子ども向けの書棚とは別にさまざまな大人向けの本が並んでいて、安く買えることが分かってきた。このころは読書案内にあるような名作を読むことを課題にして、岩波文庫の古いのを集めて、ヘルマン・ヘッセとかトルストイとか世界文学に親しんだ。とは言え、あんまり面白くない本もあって読み切れず、読むことよりも集めることが好きになった。いろんな本を持っているということがたまらなく嬉しいのである。この癖は今もって変わらない。

 もちろん、新刊書を扱う本屋さんと無縁だったわけではない。毎月出る雑誌の類や「これは読まなくては」というご指名の本探しには新本屋に行くのが当然である。しかし、特別に買いたい本が決まっているわけではなく、本との偶然の邂逅が楽しみという場合には、断然、古本屋が面白い。「へえ、こんな本があったのか」とか「新本を買いたくても絶版で手に入らない」などという本に出合ったときの喜びは何物にも代えがたい。それにもちろん、古本の方が一般的にはチープだから乏しい財布しか持ち合わせていない身にはありがたい。

 新本屋の減少が言われて久しいが、古本屋も少しずつ減ってきている。古本屋のメッカ、神田の古書店街も1軒また1軒と店が減って、スポーツ用品やら楽器店なんかになっているのを見るのは寂しい。幼少年期に住んでいた横浜の商店街に数件あった古本屋も次第に姿を消してしまったが、先般再訪したら、例の貸本もしていた古本屋さんは健在で、名前も変わっておらず、何ともうれしかった。横浜の中心街まで足を延ばし、伊勢佐木町商店街の奥の方(4丁目の先)まで行くと、昔ながらの数軒の古書店が並んでいる。その近くに住む旧友に会いに行って、一緒に古本屋巡りをして、いい加減疲れたところでその辺の居酒屋で一杯というのが永い習慣だったが、春の終わりにその友達はあっさりと向こうへ旅立ってしまった。それでもまた伊勢佐木町へ行かなくては。

 新・古含めて「本屋さん」こそはそれぞれの国の文化を象徴する施設である。図書館は公的に支えられるが、本屋さんはわれわれ市民が日常生活の中で支えなければやっていけない。縮小傾向にある「本のある生活」を再び拡大させる策を何としても考えなくてはならない。それには働き方を見直して、余暇を主座に据えるライフスタイルを確立することが必要だ。

《執筆:じぃ》


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