【つぶやき】
コロナ禍を経て、映画館に人が戻り始めているという。
「映画館に足を運ぶ」とはどのようなことなのか。
配信などの新しい視聴手段で手軽に楽しめるようになったいま、わざわざ映画館に行って映画を見ることの意味を考えてみたい。
【コメント】
コロナ禍では、映画館も「三密」にあたるとして厳しい状況に追い込まれていたが、いままた映画館に人が戻ってきているらしい。しかし、興行的にいえば大ヒット作とそれ以外の作品の差が大きく開いており、状況打破のため「映画マーケティングのDX推進」のプロジェクトがはじまるほどだという(2024/7/31開始の松竹、東映、フラッグの「シネマDXプロジェクト」)。そこで、いち観客の私見に過ぎないが、「映画館に足を運ぶ」とはどのようなことなのか、考えてみたい。
以前は、テレビの映画放送(特定の曜日に流れるもの!)を定期的に視聴したり、レンタルビデオ店を利用していた。しかし最近では、好きな時間に視聴できる配信が便利になっている。ある動画配信サイトでは映画を1本見る費用よりも安価に、1か月間様々な映画やドラマを楽しむことができる。途中でご飯を食べたり、トイレ休憩も、さらにオススメと表示された気になる作品を次々見ることもできる。それに対して、映画館で映画を見る際には、上演時間を調べて、わざわざ赴き、座席をとって見る。このように書いてみると、「やっぱり配信でいいじゃないか」という声が聞こえてきそうだ。例えば、「いっしょの映画を見たもの同士で感想を言うのが楽しい」という、映画の前後も含めた時間を大事にしているひともいるかもしれない。しかし、これもSNSで手軽に感想が発信できる今、どうしても映画館でなければいけない理由にはならない。各々が見たい時間に視聴し、好きな時間に感想をしたためてインターネットに公開する。それを読んだ人がまた配信で視聴するという循環もみられる。
では映画館ではないといけない、という魅力はどこにあるのだろうか。現時点で思いつくのは、没入感だ。スマホや携帯を切って、家とは違う空間で映像や音と向き合う。外の天気や気温も関係ない。様々なことを同時並行で進めないといけない毎日のなかで、何かひとつのことに集中するというのは、肉体的にも精神的にも難しい。なかなか理解が追い付かない作品の場合、テレビや配信であればそこで視聴を止めてまた今度、もしくはもう見ない、という選択ができる。しかし、映画館であれば、余程のことがない限り最後まで見ることになり、外界のノイズがない分そのわからなさと格闘する…ちょっとした執念のようなものすら生まれてくる。個人的には、よくわからないまま終わり数か月後にはすっかり内容を思い出せない作品もある。その一方、見ているときにはそこまで気にならなかったシーンが、後日よみがえってくることもあるから不思議だ。というわけで、私の考える映画館の魅力は「日常から切り離されて没入できること」となるが、みなさんはいかがだろうか。
《執筆:ヒメ》