#083 オンとオフ その2(2024年10月14日)

【つぶやき】

会議や打ち合わせ、研究会もオンラインでできるようになった。

たしかに移動時間や天候に左右されず、会場を予約する必要もないため、実際のところ便利なことが多い。

その一方で、自宅からでも参加できることにはメリットだけでなく、デメリットも多い。

オフラインしかできない時代より、状況次第でオンラインという選択肢が増えたのはうれしいが、どうしても日常に労働が入り込んでくるのだ。このような時代の中での完全な「オフ」の取り方を見つけに行きたい。

【コメント】

 コロナ禍がもっとも厳しかった時期は、大学が閉鎖され、オンライン授業のみ、ということもあったが、2024年現在、授業や会議は対面がほとんどになっている。とはいえ、研究会や学会に関する業務などはオンラインに移行したままのものも多く、対面でおこなうのは年に1回、というのも珍しくない。研究会であれば、これまでは遠方に住む学生・院生・教員は時間・費用の面でも参加が難しかったため、現在はその点でとても便利になったといえる。その一方で、分刻みのスケジュールに拍車がかかったように思う。オンライン上では「瞬間移動」が可能なので、忙しいひとであれば、同じ日に4つも5つも会議や研究会に出席できてしまう。

 オンとオフの曖昧さから解放されるための方策としては、きっぱりと「電波の届かないところに行く」というのがある。職場でのみ仕事をしていて、電話やメールがない時代は、「そこにいなければ仕事も質問も確認もできない」のが当たり前だったのだから、発想としては可能なはずだ。しかし、打ち合わせ前後の確認はメールで、緊急のときは電話・LINEに、というやり取りが(少なくとも私は)当たり前になってしまっているので、オンラインでもつながっている想定で、仕事をかかえてスケジュールを組んでしまう癖がついているようだ。そして、たとえば土日は「オフ」で一切仕事はナシと考えると、金曜日と月曜日の労働の密度が高くなりすぎていく。金曜に終わらなかったことは週末にやるしかない、平日のハードさを緩和させるためにも土日にやっておくか、とオフに労働が侵食してくるのだ。オンの自分を助けるためなのか、オフの時間を守るためなのか、だんだんとわからなくなってくる。

 私の研究分野では、一時期から労働と日常はクリアに分けられるものではなく、個人の心持ちで「自由時間」が作れるという発想が提起されたことがある。それに対して批判的な視点で研究を続けてきたが、実際のところ、この「自由時間マジック」が一般化しつつある状況が生まれてきている。この問題は、社会の仕組みのレベルから考えて議論していく必要があるのだが、ほとんどのひとはこのオン/オフの曖昧さにまきこまれている当事者でもある。これが客観視を難しくする反面、無関係のひとはいないのだ、と反転させて議論を活性化させていきたい。

《執筆:ヒメ》


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