#017 誕生日はわが余暇の日(2022年4月14日)

【つぶやき】

 本日4月14日という日は、世間的には、別段なんということもない日ではあるが、本欄としては特別な日なのである。 すなわち、本欄の筆者、余暇人碩翁が生まれた日である。

 今回の碩翁の誕生日は、生まれたその日を1回目として数えると 実に80回目という節目の日になる。 昔の「数え年」の習慣からすれば、めでたく傘寿を迎えた誕生日ということになる。

誕生日は、社会のではなく個人の祝日である。
天皇さんやお釈迦さまやキリストならば、個人の誕生日が国の祝日にもなるのだが、フツーの人の誕生日は、家族や友人が祝ってくれるだけのことだ。
それでも誕生日は、その人の原点の日として大切なものである。
そして余暇の原点も誕生日にある。

【解説】

 Facebookは皆さんご承知の通り誕生日がお好きで、「今日は誰之誰兵衛(または誰之誰子)さんの誕生日です」とわざわざ教えてくれる。ふだんはあまりやり取りのない人でも、誕生日と聞くと懐かしくなったりして、「おめでとう、元気ですか」と書き送って旧交を温めることもしばしばだ。

 欧米ではキリスト教の最大の祝日がイエスの誕生を祝うクリスマスだから、それに倣って個人の誕生日を祝うことも自然に行われたと思われるが、日本では誕生日を祝う習慣はなかった。(しかし、お釈迦様の誕生日の4月8日だけは、花まつりとして祝われてきたのだが、日本人のほとんどが仏教徒のはずなのに、あんまり盛り上がらないのはなぜだろう)。

 それというのは、かつての日本での歳の数え方が、生まれて1歳、あとはお正月が来るたびに1つ歳を加えるという「数え年」の習慣だったから、正月祝いが全国民の誕生祝でもあったわけだ。戦後になって年齢を満年齢で数えるという法律ができて改めて個人の誕生日が意識されるようになったのである。最近のように、デコレーションケーキに歳の数だけローソクを立てて、祝われる人が一息で吹き消すなんてことは、サンタクロースと共にアメリカから輸入された新風俗に過ぎない。

 ついでに言えば、誕生日には欠かせない「ハッピーバースディ トゥーユー」の歌だが、あれはもともとアメリカの幼稚園で、毎朝子どもたちと一緒に歌われていた「グッドモーニング トゥーユー」の替え歌である。誰かが思いついてこの歌を誕生日用に改造したのが広まったということだ。

 それでも何でも誕生日はおめでたい。それはその人のこの世の時間が始まった日なのだから。そしてそれは自由な余暇の時間として始まったのである。決して拘束された義務の時間として始まったのではない。この先、与えられた自由をわが思うように目いっぱい生かして、ただ一度きりの人生を楽しく、面白く、豊かに生きて行くための出発点の日なのである。年に一度、その原点に立ち帰って、改めてわが人生の自由と可能性を確認する祝日である。

 碩翁もまた、80回目の原点回帰を果たし、わが余暇にさらなる磨きをかけて行きたいと念じている。


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