#022 余暇って学問になるの?(2022年6月4日)

【つぶやき】

学問と言えばまずは古典的な哲学、文学、法学、経済学…
理科方面なら医学、化学、物理学、建築学に電子工学…
いずれも立派な大学に学部や学科があって偉い教授たちが犇(ひし)めいている。

ところが近年、いささか風向きが変わって、今風のソフトな学問が増えてきた。
マスコミ学、コミュニケーション学、生活デザイン学あたりから
はては観光まちづくり学、不動産学、演劇学からマンガ学まで、
ユニークな学部・学科を持つ新興大学があちこちに生まれている。

それでもどうしても見つからないのが「余暇」という名前の学部や学科だ。
余暇は学問とは無縁な世界なんだろうか。

【解説】

 たいていの人は、余暇なんてただのヒマなんだから、学問になるわけないでしょうとおっしゃるだろう。ヒマでぼんやりしていては勉強にならない。そこから抜け出して真面目に取り組むのが学問だというわけだ。しかし、よくよく考えてほしい。そもそもヒマで自由な時間があるからこそ、あれやこれやと考えを深め、昔の本を調べたり、調査したり実験したりして学問を作って行くことができるのだ。ヒマがなくては学問・研究は生まれない。つまりは余暇こそが学問の土台ということになる。

 学問する場所=学校を英語で言うと「スクール」だ。このスクールという言葉の由来をたどって行くと、西欧の古典語であるラテン語の「スコラ」(学校・学派)を経て、ギリシャ語の「スコレー」にたどり着く。そして何と、このスコレーという言葉の意味はまさしく「余暇」なのである。昔々、ギリシャの自由市民(労働は奴隷に任せていた)ソクラテスやプラトンが自由な時間にあれこれ勝手な議論を好きなだけ交わしながら築き上げた哲学?これがその後の諸学問の源になったのである。余暇は学問になるか、どころの話ではなくて余暇とは学問そのものなのであった。

 なるほど、余暇=学問が原点だから、かえって「余暇の学問」が生まれにくかったのだろうと読者はお考えだろうか。いやいや、余暇が学問の、さらに広く言えば人間の文化創造の元になっているとしたら、その余暇について、総合的に、深く掘り下げて検討する「余暇学」「レジャー学」があってもいいはずではないか。実際その通りなので、実は余暇学科が存在しないのは日本ぐらいなもので、欧米の大学の学部・学科を調べて見れば「レジャー・スタディーズ」や「レクリエーション・リサーチ」という名の学科はどこにもあるし「レジャー学部」を置く大学さえある。
そうした諸大学の余暇研究者が一堂に会する「世界レジャー会議」が毎年世界各地で開かれていて、筆者もだいぶ以前だが2010年に韓国の春川(日本でも大ヒットしたドラマ『冬のソナタ』の舞台になった町)で開かれた会議に参加したことがある。文化、スポーツ、観光、造園、環境、さらには余暇と哲学、社会学、経済学…など余暇を巡るあらゆる研究分野の研究者が500人も集まって論議を交わす一大イベントだった。筆者も韓国の余暇学者の前で(あちらにはすでに大学院の余暇研究コースが作られていた)日本の余暇の実情を話したものである。

 現在までのところ、わが日本では「余暇」問題を総合的に追求する大学の学科はただの1つも存在しない。それどころか余暇やレジャー・レクリエーションをテーマにする科目さえ、いくつかの大学にちらほらとあるだけである。早くに余暇科目を置いたのは立教大学社会学部で、1990年代には「余暇社会論」が講じられていた(筆者も担当したことがある)し、現在も立教の観光学部やコミュニティ福祉学部には余暇科目が置かれているが、単発の科目でしかない。この欄で何度も取り上げている日本人の余暇の貧しさは、市民の日常生活ばかりか学問の領域にまで広がっているのである。

 ここで、余暇人碩翁の自慢話?を聞いてもらおう。かつて筆者の勤務していた東京・日野市の実践女子短大の生活福祉学科には「余暇コース」があったことを特記しておきたい。「余暇生活論」や「遊戯文化論」(担当はもちろんかく申す筆者)を軸に、余暇と遊びをめぐる諸理論から実践論、観光や福祉に関するケーススタディと称した実習科目まで合計15科目、学科とまではいかなかったが本邦初演の堂々たる陣容だった。各科目の担当者はいずれも筆者の余暇仲間でユニークな教員ばかりだった。学生には好評で、余暇で就職もできたし、いずれ大学の学科に格上げすることを目指して奮闘したのだが力及ばず、2012年に短大が大学に吸収されるとともに余暇は息の根を止められてしまった。同時に筆者もリタイアして、以後は民間の余暇研究者として気炎を吐いて?いるという次第である。

 この2年余のコロナ禍は、われわれの生活にも大きな変化をもたらしている。日本人の余暇オンチにも新たな光が当たり、余暇生活の充実こそが人生の重大事であるという意識が広がることを期待している。筆者も80歳が目前という老トルになってしまったが、やがてどこかの大学に「総合レジャー学科」が誕生する日までは、余暇学を掘り下げながら生き延びたいと願っている。


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