【つぶやき】
余暇についてよく言われる格言に
「小人閑居して不善をなす」というのがある。
ここで「小人」というのは古代中国のもの言いで、
教養ある「君子」に対して学問も礼儀も知らない庶民のこと。
つまり、教養人は別として、つまらない人間が暇を与えられると
ロクでもないことをしでかす、という意味である。
出典は儒教の経典の1つである「礼記(らいき)」の「大学」篇で、
日本でも昔からよく引用されてきた。
「小人閑居為不善」は、余暇を撲滅するスローガンとしてもてはやされた。
余暇なるものは、確かな見識のある人に与えられるならよろしいが、
無教養の庶民を暇にすると、酒を飲んだり博打をしたり、悪に走るのが関の山。
庶民には暇を与えず、できる限り働かせるのがいちばん、
それが本人のためにも世の中のためにもよろしいということだ。
【解説】
「小人閑居して不善をなす」という標語は、権力者や経営者が大好きな言葉で、労働者を長時間労働に追い立てるために活用された。「あんたたち教養のない輩(やから)は、暇になったらすることがなくて、朝から飲んだくれたり、女を買いに走ったり、挙句の果ては喧嘩、口論、殴り合い、身を持ち崩すことになりかねない。それよりは朝早くから夜遅くまでしっかり身体を使って働けば、健康にもいいし、悪事にも走らず、それでちゃんとお給金ももらえるのだから、こんないいことはない、さあ、働け働け」というわけだ。庶民も労働者も馬鹿にされたものである。
今では、これほど露骨に余暇否定を公言する人は少ないかもしれない。しかし、私たちの社会には、閑居=余暇は不善に流れやすいので、すべからくこれを「善用」するように努めなければならないという強固な信念が存在している。これを「余暇善用」のイデオロギー(根っこにある考え方)と呼ぶことができる。「余暇を上手に使いましょう」とか「余暇の活用法を教えます」という類のコマーシャルがあふれているし、そういう方向でのテレビ番組や雑誌の記事や書籍も毎日のように耳にするし目にも触れる。
だがしかし、ここで立ち止まって考えてみよう。本当に庶民は暇になると馬鹿なことばかりするだろうか。教養があろうとなかろうと、暇であることの価値というのは、人間ならば誰にも感じられ、味わえるものではないのか。暇があると不善をなすなんて決めつける前に、十分な暇をすべての人々に与えることが先決だ。子どもから高齢者まで自由に楽しく交流できる暇があれば、さまざまな「善きもの」が生まれてくるのではないか。「働き過ぎ」は自慢にならない。「ヒマ過ぎる」社会をみんなで作ってみようではないか。
余談を一つ。「小人閑居して不善を為す」という文言には、実は別の解釈がある。ここで「閑居」と言われているのは「暇に暮らす」ということではなくて、「一人で、孤立して暮らす」ということだというのだ。「閑」という文字は「静か」という意味だから、「閑居」を一人静かに暮らすと受け止めてもよい。すると、この句の意味は「教養のない人は一人暮らしをすると善くないことをしがちだ」ということになる。確かに他に誰も見ている人がいないと行儀は悪くなるし、ゴミはその辺に投げ捨てるし、勝手に人のものを盗るなんてこともしかねない。一人でも自立して毅然と生きられる哲人ならともかく、凡人は閑居などせずに、隣人たちと付き合いながら「雑居」した方がよろしい。――確かにこれなら分かる。閉じこもったり引きこもったりしないで、地域の絆を大切にして暮らしましょう。それには十分なる暇が要るのです。