#030 七日に一度休むのはなぜ(2022年8月24日)

【つぶやき】

日曜日について、ひとつ疑問を出してみよう。
月火水木金土と来て7日目の日曜日が休日、
これは今や世界の常識だ(近年は土曜日も休みだ)が、
そもそもなぜ6日働いて7日目が余暇の日なのだろうか。

旧約聖書によれば、神様がこの世を作り出すのに6日かかった、
7日目に神さまは世界の出来栄えに満足して休息を取った、
そこで人間たちもそれに倣って6日働き、7日目は神を称える日にしたという。
これはキリスト教徒なら納得できるかもしれないが、他の宗教ではどうなのか。
7日周期というサイクルに何か合理的根拠はあるのだろうか。

【解説】

 私たちが10進法を使っているのは、言うまでもなく左右の指が合わせて10本だからである。数学的には6進法だって7進法だっていいので、現にコンピューターは0と1しかない2進法で全ての数を処理している。
人間の指が3本ずつしかなかったら、6進法が普及していただろう。

 1年が12カ月であるのは、月が12回満ち欠けすると、地球が太陽の周りをほぼ一回りして、元に戻るからに他ならない。そこで12を一まとまりとする数の秩序ができ、1ダースは12個ということになり、イギリスの通貨の1シリング12ペンスで、そのほかあれこれ12進法が使われている。

 ところが1週間の7という数字には、格別このような根拠がないように見える。なぜ、7でなくてはならないのか。
ユダヤ教の神様は6日働いて7日目に休んだかもしれないが、他の文化圏ではそれにとらわれず、5日働いたら1日骨休めでもいいのではないか。確かに、近代以前の日本では七曜制というものはなかった。
では、当時の人々は休日もなしに働きづめに働いていたのだろうか。もちろんそんなことはない。

 江戸時代の農村の働き方をチェックした古川貞夫『村の遊び日』(平凡社選書、1986年)という面白い本がある。それによると地域によって違いはあるものの、全国の農村では「遊び日」という休日がきちんと定められていたことがわかる。現在は長野県上田市になる上塩尻村の規定を見ると、正月には三が日、7日、13日、15日、16日、20日と8日間も遊び日があり、月によって大きく変わるとはいえ(農繁期の8月は朔日(1日)しか休めない)、10月までに合計30日の休日が決められている。

 「遊び日」というのは本来、人間が勝手に遊ぶのではなくて、神様(仏様)とともに遊ぶ祝日のことであった。正月や盆などの年中行事、村の祭礼、それぞれの家の先祖供養の日などである。さらに、これに加えて若者たちが団結して村役人に要求して勝ち取った「休み日」というのもあった。これは純粋に労働からの休養の日ということで、時代を下るととともに増えて行った。両者を加えると、7日に1回の休みがあったことになり、近代の週休制と大差なくなってくる。

 山形県の庄内藩の万治元年(1660年)の布達を見ると「常々休日は七日稼ぎ、八日目に休むべきこと」という規則的な規定も見られる。労働週は8日間を単位にしていたというわけだ。
この規定は50年ほど後になるとさらに前進し、「休日のこと、毎月七日に一日の休息、前々の通り仕るべし」となって、労働週が1日短縮される。
現在のカレンダーと全く変わらない休日規定が定められていたとは、まことに興味深い事実である。

 どうやら人間の生体の活力は、労働を続けると次第に低下し、6日か7日で枯渇するようだ。そこまで行ったら1日ゆっくりと休養を取って元気回復を目指さないといけない。
そうでなければ、長く働き続けることはできないのである。第二次大戦中、日本では無茶苦茶な長時間労働が奨励され、「月月火水木金金」という、土日抹殺の標語が貼り出されたりしたが、それがいかに無謀で非人間的な愚挙であることは明らかだろう。
そんなことで戦争に勝てるはずはないのである。

 「7」という数字に、一目瞭然に理解できる根拠は見つけにくいが、人間の生理に基づく、一区切りの目安としてちょうどよろしいということだろう。そういえば、7は何となくお目出度い感じのするする数字で、ラッキーセブンはもとより、七福神とか七五三とか「七つの海を乗り越えて」とか、何となく幸せなイメージを持っている。いわゆる縁起のいい数字なのだ。われわれ余暇族も「7」を尊重して「七色の余暇」を楽しもうではありませんか。


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