【つぶやき】
人間だれしも病気になる。
病気になったらどうするか、
医者にかかって診断してもらう、
注射を打ったり薬を処方してもらったり、
場合によっては手術が必要かも知れない。
病を治してくれるのは医者か薬か病院か、
いや、実はそれらはみんな治療の入り口であって
ほんとうに病を癒してくれるのは「余暇」である。
仕事も義務も約束も、みんな放り出して、
ひたすら余暇を享受してこそ、
人は健康を取り戻すことができる。
【解説】
余暇の究極の役割は「癒し」である。病気になったら休むしか手立てがないというのは世界の常識である。仕事から離れ、落ち着ける場所で静かに過ごすこと、これしかない。
医者も薬も病いを癒す応援をしてくれるだけで、病いを克服する力は自分の中から呼び出すほかはないのである。そして「余暇」という空白の時間こそが、私たちが自然からもらった「治癒力」を活性化する唯一の条件である。
余暇人碩翁もこの夏、コロナに感染してしまった。ワクチン接種は3回終わり、もうすぐ4回目という矢先、発熱して検査を受けたら陽性だった。どこでもらってきたのか見当もつかないが、同居の家族のことを考えて、いちばんの濃厚接触者である家内ととともに、近くにある山荘に引きこもった。
ここは高層のマンション群が並ぶニュータウンの外側で、周囲には緑豊かな里山が広がり、点在する家々はみなひっそりしている。山荘にはテレビも電話もなくラジオだけ、新聞も来ない。
ノートパソコンをスマホのテザリングでインターネットにつなぐことはできるが、接続は不安定でしょっちゅう切れてしまう。
情報は一気に少なくなって、その分、静かな時間が流れる。漫然と本を広げたり、音楽を聴いたり、庭のバラの花を愛でたり、ベランダ園芸のトマトを収穫して食べたり…という長閑な日々が続いた。
幸いコロナは軽症で、熱はすぐに下がり、咳がしばらく抜けなかっただけで、特に体調が悪くなることはなかった。とはいえ、味覚と嗅覚が減退し「コーヒーが香らない」のに愕然としたり、食べるものが少しも美味しくないという体験はした。それよりも重大だと思ったのは「やる気」が低下して、倦怠感というのか無力感というのか、この世の中が面白くなくなっていく感じがあったことだ。コロナというのは、高慢ちきな人間たちに、人間のダメさ加減を味わわせるために大自然が送り込んできたメッセンジャーかもしれない。
ともあれ2週間の予期せぬ余暇を静かに過ごしたおかげで、身体の良好な感覚も精神の前向きな姿勢も蘇って「つぶやき余暇」を書く元気を取り戻すことができた。
病院からもらった薬はありきたりの解熱剤と咳止めだけで、もちろん無駄ではなかったが、治癒したのは自分自身にそれだけの活力がまだ残っていたからだと思う。
それを可能にしてくれたのが、毎日が余暇の落ち着いた日々だった。
日本人の余暇貧乏はこのコラムでも何度も問題にしてきたが、余暇を失うことは治癒力を減退させることだという事実を強調しておきたい。
余暇のない分、元気の出るというビタミン剤なんかに頼るのは愚策である。
まずは権利として与えられている自分の余暇をしっかりキープしよう。
それは心身の健康の支えであり、意欲を持って社会と関わっていくための根拠地である。