【つぶやき】
3月に入ると、天気予報では必ず「桜の開花予報」を発表する。
ソメイヨシノの桜前線は、3秒に1歩の歩みで、1か月かけて北上するとのこと。
さて、今年の花見は如何に楽しもうか。
宴会もよし、堤を散歩するもよし、俳句や短歌に詠むも、絵を描いたり写真に撮ったりするもよし。
花見団子も某カフェで桜フラペチーノを味わうもよし。
豪華でも、お金を掛けなくても楽しめるのが花見のいいところだ。
【コメント】
そろそろ関東でも桜が開花するだろう。桜の開花の仕組みには、まだよくわからないことも多いようだが、2月1日以降の最高気温の蓄積が600度を超えると、あるいは平均気温の蓄積が400度を超えると、開花のタイミングとなるらしい。少し前までは、4月の入学式の頃が満開であったのに、年々の温暖化で開花が早まり、関東では入学式の頃はすっかり葉桜だ。
何故日本人は、桜の開花を楽しみにし、お花見の宴に興じるのか。
花見はいつから始まったのかといえば、落語の「江戸の花見」にみられるようなかたちで、庶民がお酒やご馳走を携えて、桜の下で宴会を開くようになったのは、おおよそ1700年代頃からだとされている。花見が個人的な花の鑑賞ではなく、集団の行事化、社会慣習になっているところが日本的らしい。
花見の源流には大きく分けて、農村文化的なものと貴族文化的なものの2つがある。民俗学によると、農村には「春山入り」「春山行き」と呼ぶ古くからの行事があった。これは春先、花の咲く頃に飲食物を持って、近くの山に入り、一日を過ごす行事だ。冬を支配していた神を山に送り届けるとともに、春の芽吹きをもたらす田の神を迎える一種宗教的な行事なのだ。一方、花見は平安時代初期から漢詩や和歌などを詠んで競う貴族的遊びとしても広がり,鎌倉時代以後は武家の間でも流行した。豊臣秀吉の吉野山の花見や醍醐の花見は豪華絢爛で、茶会や歌会も催されたのは有名なところだろう。この頃、狩野長信が描いた「花下遊楽図屏風」には、庶民がさまざまな衣装をまとい、笛や鼓を鳴らし、桜の木の枝や扇を持って楽しげに踊る姿が描かれている。徐々に庶民の間にも花見が広がっていった様子がうかがえる。
江戸・享保年間の将軍吉宗は、日本独自の花見という娯楽を普及させた仕掛け人だ。この時期、飛鳥山、向島、御殿山などに多くの桜が植えられた。江戸後期には、現在我々が目にする園芸種の「ソメイヨシノ」が植えられるようになった。
植物と文化に詳しい白幡洋三郎氏は、日本的花見の三要素は、「群桜、飲食、群集」であるという(「花見と桜」八坂書房)。家族や職場、あるいは気のおけない仲間と桜の下で飲食を共にするのは、共食の持つ団結力にあるとする。花見の飲食は、無礼講ありの水平構造の宴会で、時と場所を同じくする贈答であるからこそ、長く続いてきたと彼は指摘する。人が集って共に飲み、共に食べるは楽しいひと時。伴を慕い、共同の幸福に満たされる小集団があちこちにみられ、花見の宴を盛り上げる大群衆となる。そこには「群桜」が欠かせないというのだ。
さて、前回4日のジイからの「余暇の花」とは何かという問いであるが、余暇の神髄や核心は、自由な心である。春を待ちわびた心のような、静かなわくわく感だ。
花を愛でる形が人それぞれであるように、時に花見の大宴会のように、大いに発散するのも楽しいだろう。でも時には、一人散歩しながら、満開の花の下で、あるいは花吹雪を浴びながら、密かに、孤独にいろいろなことに思いを巡らせるのも愉しいのではなかろうか。
《執筆:マダム》