【つぶやき】
この季節、日本中の町はクリスマス・ムードにあふれている。
ビルの入り口にも、街角にも、学校や病院にも、
それどころかわが住むマンションのロビーにも
もみの木が飾られて赤や青のランプが明滅している。
商店街へ行くとジングルベルの響きが一日中流れているし、
ショッピングセンターには気の早いサンタクロースも登場、
親たちは子どもへのプレゼントをどうするかが悩みの種。
恋人たちもお相手を感激させる工夫に余念がない。
これほど浸透した国民的行事は他にない。
最近やたらに増えた国民の祝日―海の日だとか山の日だとか、
いったい何を祝っているのか、ただの休みに過ぎないのか、
そもそも休日であることさえ気づかぬ人もある。
それらに比べてクリスマスの存在価値は疑いようがない。
それでもクリスマスは国民の祝日ではない、
カレンダーを眺めればただの平日に過ぎない。
それはいったい何故だろう。
【解説】
クリスマスの浸透ぶりは確かに徹底している。この国の年中行事においてクリスマスは不可欠のアイテムになっていて、伝統的なひな祭りや七夕やお月見がだんだん廃れていくように見える中で、お正月を凌ぐほどの勢いを見せている。
それがキリスト教起源の祝祭であることを忘れさせるほどだ。
有名なジョークだが、クリスマスにキリスト教会の前を通った人が「おや、教会でもクリスマスをやってる」と感心したという話がある。
奇妙なことに、これほどクリスマス好きの日本人なのに、肝心のクリスチャンは圧倒的に少ない。カトリックとプロテスタントを合わせても100万人そこそこなのだ。人口の1%に届くかどうか。
その昔、フランシスコ・ザビエルの布教以来、信長や秀吉のころには総人口500万人のうち、50万を下らないキリシタンがいたというから、その頃の方がよほどキリスト教に近づいていた。
欧米ではキリスト教徒が大半なのは当然として、アジアでもクリスチャンは少なくない。お隣りの韓国には新旧キリスト教合わせて1,500万人(人口の約3割)、人民中国だとて1億のクリスチャンがいるという。
かつてスペインの植民地だったフィリピンなどは完全にカトリック国である。それに比べてわが日本は、明治以来、欧米人による熱心な布教活動があったにもかかわらず、クリスチャンは増えなかった。
ミッションスクールを卒業したような中上流の家庭には、そこそこ信徒が生まれたが、庶民はキリスト教を受け入れなかった。
戦前は明治以来、強力に推し進められた天皇教(崇拝)がキリスト教を阻止したし、戦後はアメリカ崇拝が浸透したものの、サンタクロースやジングルベルまでは普及しても信仰までには届かなかったということだろう。
クリスマスのどこが日本人の好みに合ったのだろうか。筆者は戦後日本の高度成長がもたらした消費生活の拡大を背景に、消費の場としての「家庭」を重んじ、わが家の平和と安泰を祝う日として、クリスマスが定着したのだと考える。
パパもママも子どもたちもそろって鶏のモモ肉に舌鼓を打ち、親たちは甘いワインに酔い、子どもたちは美味しいケーキをほおばってクリスマスソングを歌う―一夜明ければ枕元にはステキなプレゼントが置かれている。まことにメリー・クリスマス。
この日は国民の祝日に昇格させていいと思う。名称は「マイホームの日」というのがふさわしいだろう。