#035 青空と余暇の雲(2022年10月14日)

【つぶやき】

猛暑の夏が過ぎ去って、爽やかな秋がやってくる
天気のいい日にぼんやり空を眺める
透き通った青い空がどこまでも広がり
その中にぽかりぽかりと雲が浮いている

雲というのは空の中の何なのか
そんなことを考えてふと思いついた
雲というのは空の中の「余暇」なんだ
あってもなくてもいいような、でも、なくてはならないものでもある

空が空だけだったらやっぱり物足りない
真っ白で柔らかそうで楽し気な雲が空を空たらしめている
生活も同じことだ、仕事一色では息が詰まる
雲のような余暇が生活を生きるに値するものにしてくれる

【解説】

 余暇といういささか頼りないものをテーマにものを考え、余暇を真ん中に置いた事業をあれこれ画策して生きてきた。もう半世紀以上も昔の経済の高度成長期から、オイルショックを経て強くなった日本経済が世界中を買い占めるほどの勢いを示した時期を経て、バブルが崩壊し、失われた10年、20年が経過し、平成の30年が過ぎるころには、老大国日本は、中国や韓国の後塵を拝するところまで後退している。まことに栄枯盛衰は世の習いである。

 しかし、余暇というものに注目してみると、余暇はいつの時代にもあったし、その時代ごとに、それなりの役割を果たしても来ている。その昔の高度成長をけん引した1つの動因として「レジャー・ブーム」という現象があった。景気が良くなって仕事が増え、所得も倍増するという「いけいけどんどん」の時代には、ボウリングだのスキーだの、あるいは愛車を駆ってドライブだの、お金のかかるレジャーに若者たちが夢中になり、それが経済を活性化する一因ともなったのだ。その後の経済大国ニッポンを誇った時期には、リゾート開発が列島中を駆け巡り、全国いたるところにゴルフ場ができ、海岸に作られたマリーナには自家用ヨットが整列したものだ。海外旅行も盛んになって、世界のあらゆる国々を旅するための「地球の歩きかた」のガイドブックが書店の棚にならんでいた。

 平成不況と言われた今世紀の20年になると、経済は成長どころか停滞、果てはじりじりと後退を始めているが、余暇が消え去ったわけではない。それどころか失業という形の余暇―それは決して望ましいものではないが―着実に拡大してホームレスという「余暇人」が街をさまよう風景も当たり前のようになっている。世界でもトップクラスの長寿国となったこの国は、リタイアした膨大な高齢者を抱え、毎日が日曜日という何千万もの人々が余暇の使い方に思い煩う今日このごろである。

 余暇は時代の変遷とともに、様々な形をとりながらも、常に私たちの暮らしの根幹に関わってさまざまな作用を続けている。それはちょうど大空という舞台に、日々さまざまな雲が現れて、天の気を変化させ、自然界を動かしているのと同じように感じられる。雲には穏やかで美しいものもあれば、夏の日差しの下で巨大にせりあがって激しい夕立を見舞うものもあり、空全体を真っ黒に覆いつくして、世界を沈鬱な表情に変えてしまうのもある。同様に余暇にも、しばしの休息の時となって心を癒してくれる白雲のような余暇もあれば、多くの余暇が結集して巨大な力になり、世の中を動揺させる入道雲のような「ブーム」型の余暇も現れる。麻薬や暴力や快楽殺人のような反社会的な余暇行動も生まれてくる。

 余暇という雲を構成する主成分は「自由」という粒子である。この粒子はささやかに見えて大きなエネルギーを秘めている。それを引き出し、組み合わせ、これまでになかったような余暇力を組織して、もっと平和で美しい世界を構築することはできないものだろうか。秋の雲をぼんやりと眺めながら、余暇の行く末に思いをいたすのも悪くない余暇の使い方だろう。


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