#032「地余暇」のすすめ(2022年9月14日)

【つぶやき】

「地余暇」(じ・よか、と読んでほしい)というのは聞き慣れない用語だろう。
それもそのはず、かく申す余暇人碩翁の造語だから、実はどなたもご存じない。
意味は「地元の余暇」ということ、地方(じかた)とか地酒とかいう時の「地」、
「地余暇」は住み慣れた身の回りの世界で過ごす余暇、
カタカナにすれば「ローカル・レジャー」ということになる。

一般に、余暇というと全く個人的・私(わたくし)的な余暇がまず頭に浮かび、
次には、生活の場を離れて盛り場やレジャーランドに出向いたり、
あるいは遠くの街や、果ては外国に出かけたりすることがイメージされる。
自宅に引きこもりか、お出かけレジャーか―しかし、その真ん中にある「地元」をお忘れなく。
地つきの余暇を豊かにしよう、それが「地余暇のすすめ」である。

【解説】

 ひと昔前の日本人は「地元」を大切に生きてきた。というより「地元」が世界だった。
農家なら地元こそが生産の場であり消費の場でもあって、田畑を耕す労働も、そこから離れて遊び楽しみ、祭りを盛り上げたりするのもすべて地元で行われた。
都市でも前世紀後半の高度成長期以前には、地元の生活が大きな位置を占めていたのは農村と変わらない。
評判になった映画「三丁目の夕日」は、東京タワーが立ちあがる以前の、長閑な下町の生活が面白く描かれていた。

 しかし、高度成長もバブルも終わり、「失なわれた10年、20年」が過ぎて行く中で、活気ある地元生活もまた失われて行った。街の商店街の八百屋も魚屋も肉屋も、あるいは荒物屋も大工も左官屋も次々と姿を消してゆき、どこへ行っても同じようなコンビニやスパーマーケットやショッピングセンターに置き換わってしまった。
地元の社交の場だった食堂も居酒屋も喫茶店も、これまたそれぞれのチェーンストアに駆逐されて、どの街にも目につくのはマクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンのようなファーストフード店ばかり。
昔、私が憩いの場にしていたような街中のしゃれた喫茶店―そこに行けば誰か仲間がいたり、マスターやウエイトレスのおばさんと気楽に話もできた―は今ではどこを探しても見つからず、コーヒーを飲みたければスタバかドトールか...というのが常態になってしまった。

 地元という雰囲気を生み出すために不可欠な装置だった商店や飲食店が次々消えていくとともに、私たちの余暇の「地元性」もどんどん失われていった。
仕事帰りに、あるいは週末の余暇時間に、ちょっと立ち寄ってお茶を飲んだり、他の町にはない「地酒」を楽しんだりするのは、生活に安らぎと彩りをもたらしてくれるだけでなく、この町に住んで、この町を自分と仲間たちの領分として慈しみ、コミュニティ意識を育てる大きな意味があったのだが、それはほんの半世紀ぐらいの間にものの見事に破壊されてしまった。
「地余暇」を奪われた人々は、個別の趣味の世界に閉じこもるか、地域を見捨てて、山のあなたの幸せを求めに行くしかなくなってしまったのだ。
ここ2年半ほど猛威を振るった(今でもふるい続けている)コロナ禍が人々の分断をさらに加速し、近所の人もみんなマスク仕立てだから、よほど親しくないと誰が誰やら分からない。
地元生活は生活に欠かせない物品を急いで買い集めるだけの場に成り下がってしまった。

 だからこそ「地余暇」の復活と再興が求められる。みんなの余暇を近所に持ち寄って、無駄話に花を咲かせたり、公園でちょっとした運動をしたり、囲碁・将棋、ブリッジに麻雀に興じたり、なじみの居酒屋に集合して大気炎を上げたりするような地つきの余暇の場を取り戻さなくてはならない。
昨今のはやりの用語で言うと、こういうのは「サードプレイス」と呼ばれている。
家庭という第1の居場所、職場という第2の場、それに対して自由で気楽な交流のある第3の場ということだ。サードプレイスを広げていく前提は、各人が自分の余暇を軽々に旅行会社や運搬事業に売り渡すのではなく、まずは自分の身の回りに投資することが必要である。
市民の「地余暇」が集まって一つの力になることがコロナ後の社会の再編成のために欠かせない課題である。


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