#066 公園 その3(2024年4月24日)

【つぶやき】

公園とは万人に開かれた居場所である。

誰でもそこに来ていいし、誰もがそこにいることを許される。

庭園のように囲い込まれて特別な資格や入場料の負担がなければ入れない場所ではなく、
市民のために公的にキープされた空間に他ならない。

せせこましい都市の中でそこだけは安全を保障され、
自由な空気を思う存分吸い込むことができる。

公園は余暇の容れ物であり、遊び心が解放される広場として都市に必須の装置である。

【コメント】

 近代都市に不可欠な空間としての公園は、日本でも年々整備が進んで、どこへ行ってもそれなりの公園にお目にかかることができるのはマダムやヒメの紹介するとおりである。ジイの身近にも感じのいい公園があって散歩の途中で公園タイムを楽しんでいる。ジイの住む多摩ニュータウンの公園群は桜並木に力を入れていて、今年も満開の花のもと、お弁当を持った家族連れでどこも賑わっていた。

 昨年、ニューヨークタイムスが世界中から「行くべき所」を50カ所ほど選んで紹介している中に「山口市」が入っていたので、この3月に訪ねてみた。山口市中心部は確かに歩いてまことに気持ち良い街である。繁華街から上がって浄瑠璃寺の五重の塔辺りまでのエリアは緑豊かな遊歩道で、さながら公園の中に町があるという感じを抱いた。古寺をはじめ図書館、博物館、美術館、ザビエル記念聖堂があり、おしゃれなカフェやレストランにも事欠かない。街はずれには有名な湯田温泉があって、放浪の俳諧師・種田山頭火が長く住んだことでも知られる。都市の快適空間を研究しようと思ったら山口詣では欠かせないだろう。

 公園=PARKというのは、元はイギリスの農民たちの共同所有地のことであった。日本で言えば「入会(いりあい)地」である。そこは私有地ではなく地域の住民が共同で管理して使いこんでいく場所、そこから採れる草や花や薪やキノコなどの産物は関りのある住民で分けるという習慣があった。この「入会」思想を現代に生かしていろいろ工夫のある公園の使い方をしたいものだ。

 日本の公共施設には小うるさい使用規則がつきもので、公園もあれをするな、これは禁止という事項が多い。日本で「公共」というと「束縛」のイメージが強いのは、お上の言うことには従わねばならぬという奴隷根性がいまだに残っているからだ。公共とは「みんながともに生きる」ということのはずで、公園もいろんな市民の多彩な要望に応える面白い使い方を開発していくべき場所だ。ヨーロッパの公園には必ずと言っていいほど「公園スポーツ」がある。公園音楽やアートもある。市民がそれぞれ日常的に楽しんでいるアクティビティを持ち寄って公園ライフをもっと楽しくしたいものだ。ロンドンのハイドパークに倣って「スピーチ・コーナー」を設けて、言いたいことを言い合う―そうすれば地域の風通しも少しはよくなるのではないだろうか。

《執筆:じぃ》


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