#016 長屋の花見を取り戻そう(2022年4月4日)

【つぶやき】

東京の周辺はいまや桜の満開の時期、
上野公園、千鳥ヶ淵、隅田川の河畔など桜の名所は
多くの花見客であふれている。

とはいえ、執拗に続くコロナ禍のもとでは、
かつてはどこの桜の下でも常態だった飲めや歌えのどんちゃん騒ぎは影を潜め、
ビニールシートを広げ輪になって座っているグループはそこここにいるものの
至っておしとやかに、缶ビールをつつましく飲んでいるだけだ。

それでもやはり春は花見である。
連句の世界では、花と言えば桜に限るという約束があり、
花びら、花房、花の香、花筏、花明り、花の雲…
これがみんな桜のそれぞれを意味している。

桜は余暇のシンボルである。
春の青空をバックにあでやかに咲き誇る桜は、
眺める人々のこころを癒し、友との交わりを祝福し、
自由にのんびりと酒を飲み、手作り料理を味わい、
平和と交流の喜びを与えてくれる最高級の余暇である。

【解説】

 日本人が愛した花は、奈良時代には桜よりも「梅」だった。梅は中国から輸入された貴重な植物で(梅の中国音メイがなまってウメになった)、花も美しいが実も薬用にされ、貴族の愛した花だった。『万葉集』に出てくる花の歌を点検してみると、桜の40首に対して梅は100首以上もある。
それが平安時代になると桜の人気が高まり、『古今和歌集』では、桜が梅を圧倒するようになった。
その中に、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という在原業平の歌があるが、 桜があるからこそ、春は盛り上がる。
もし桜がないとすると、えらくのんびりして退屈だろうというわけで、桜愛好が花の趣味の王座の位置を占めるようになるのである。

 大掛かりな花見としては、天下人になった豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」がよく知られている。
これは桜を見るばかりでなく、茶屋を仕立てて茶をふるまい、操り人形などの見世物を配して大衆に開放し、多くの見物客を集めてたいそう賑やかに行われた。
後世の花見の大宴会はここに始まると言っていい。江戸時代になると、花見は庶民の娯楽として広がり、「花より団子」の春の宴として定着していく。
8代将軍吉宗は、手狭になった江戸市中を離れた、当時の郊外にあたる飛鳥山に多くの桜の木を植えて江戸庶民に開放した。
下町の八つぁんも熊さんも酒の徳利につまみの何品かを用意して、いそいそ出かけたものである。落語で知られた「長屋の花見」の始まりである。

 日本人の余暇生活にとって必須のアイテムだった花見も、コロナの攻勢の前には自粛せざるを得なかった。
昨年も一昨年も花見の宴は取り締まりの対象になってしまい、それでも桜の好きな人たちは三々五々、前後に十分な間隔を開けて粛々と花の道を歩いていくしかなかった。
放歌高吟はもとより、路上に座り込んで酒を飲むなどもってのほかになってしまい、一人で見る桜も悪くはない、と強がりを言いつつ、はらはらと散りかかる桜の花びらに「もののあわれ」を感じたりしていたのだった・・・。

 今年はそれでも地域の花の宴が少しは戻ってきているようだ。
都心の名所に押しかけなくても、ご近所に桜が楽しめるところは少なくない。
桜好きのわれわれは、学校の校庭をはじめ、公園だの並木道だの川の土手だの、あちこちに桜を植えてきた。
それらの桜は毎年忠実にみごとな花を咲き広げ、ゆっくり見る暇もないほど慌ただしく、春の風に乗って散っていってしまう。
時は今、かけがえのない桜週間である。是非ともご近所を語らって桜探訪に出かけよう。長屋の花見を復活させて、コミュニティの余暇再建の道を探ろう。

(参考:日本レクリエーション協会監修『遊びの大事典』、「花見」の項

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