#057 冬の遊び&ウィンタースポーツ その3(2024年1月24日)

【つぶやき】

春はお花見、夏には海水浴、秋は紅葉狩り、

そして冬の日、待ち望んだ雪が降り氷が張れば冬の遊びとウィンタースポーツ。

かつて遊びは季節と共にあり、季節に従属していた。

いまやアイススケート場は年中やっているし、雪が降らなくても人工スキー場もある。

しかしこれは進歩なのか、それでわれらの遊びは真に豊かになったのか。

【コメント】

 ジイの若かりし頃には、冬季の新聞にはスキーとスケートの情報欄があった。苗場スキー場50センチ、石打は30センチ…と毎日の積雪量が示されていた。また、赤城大沼15センチ、松原湖20センチというように山の湖の氷の厚さも刻々報道されていた。それを見てどこに行くのがいいか、仲間と相談したものだ。

 土曜日の深夜の新宿駅は、重たいスキーを担いだ若者たちが詰めかけ、構内の通路にはスキー客用の待ち合い場所が設えられた。そこは真夜中過ぎの上越国境行きのスキー列車を待つ若者たちであふれかえっていた。夜半に出る鈍行列車は、かさ張るスキーと大きなリュックサックを抱えた若者で満員の盛況だ。新幹線などない時代のトロトロ走る列車でも夜明け前に目的地に着いてしまう。みな車内で仮眠をとって(と言ってもとても静かに寝られたものではない)、明るくなるとスキー場に繰り出し、日曜の朝早くから夕方まで滑りに滑って慌ただしくご帰還となる。当時はまだ土曜日は休日ではなく、夜行日帰りの「神風スキー」と名付けられた、ほとんど苦行に近いこの行動が最先端のレジャーだった。スケートの方も似たようなものだが、こちらの方が靴だけだから装備が簡単で、夜行バスがよく使われていた。

 今日、スキーを担いで鉄道でスキー場に行くなんて言う行動を取ったら狂人扱いされかねない。愛車の屋根にスキーやスノボーを括りつけて高速道路をぶっ飛ばせば短時間でゲレンデに着けるし、何にも持たずに手ぶらで行っても、服から靴から道具まで、なんでもレンタルで済ますこともできる。レジャーとは楽をすること、快適でないレジャーなんぞはだれも見向きもしなくなった。ウィンタースポーツにはかつてほどの人気はなく、スキー場は新興のスノーボードに対応して何とか命脈を保っているが、山の湖のスケート場はほとんど姿を消したのではないか。あっても地元の人たちが利用するくらいだろう。しかし、冬の凍てついた高原の湖上をスケート履いて滑るのは、冬の自然との一体感があって、筆者なんかは大好きだったが、もはや遠い青春時代の思い出である。

 四季の変化に着目し、立春、雨水、啓蟄、春分…と続く一つのストーリーに組み上げた二十四節季こそが日本の余暇の顔だった。それが解体されて一年中変わり映えのしない、のっぺらぼうの余暇がのさばっているのは、まさに末世の観がある。自然の方も狂い始めて、とてつもない猛暑やら、豪雨、豪雪、洪水、果ては地震に津波に火山の噴火まで勢ぞろい、季節が「奇節」に変わり果てて、さて、われらの余暇はどこへ行くのか。

執筆:じい


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