#023 学歴、職歴、加えて余暇歴(2022年6月14日)

【つぶやき】

どこかへ就職しようと思ったら履歴書を書いて出すのが一般だ。
そこに記すことを求められるのはまずは学歴、
その次はそれまでに就いた仕事の履歴、
履歴といえばこの2つが頭に浮かぶ人が多いだろう。

だが履歴書に、もう一つ書くことがあるのを忘れちゃいけません。
それは「趣味」とか「特技」の欄。
仕事以外にどんなことに興味を持ち、どんな活動をしていますか、
これはその人の人柄や人間の幅を知るのに重要な項目なのだ。

趣味や特技を持てるかどうかは、どんな余暇を積み上げてきたかによって決まる。
「余暇」歴は人の個性を生み出す忘れてならない履歴の1つだ。

【解説】

 人はオギャーと生まれてきた時には何者でもない。乳を吸うことと泣き叫ぶことしかできない「のっぺらぼう」の存在に過ぎない。彼または彼女はそれからさまざまな体験に身を委ね、世界と交わりつつ、自分の内実を豊かにしていくのである。毎日毎日のさまざまな体験?身体の使い方、心の用い方、人と人との間に生じるやりとり―を収集して一歩一歩自分育てを進めて行くのだ。

 子どもの頃、体験を拡大する原動力は「遊び」であった。どんな子どもも遊ばないではいられない。子どもにとっては生きていることがそのまま遊ぶことである。誰かに教わらなくても、自分の内から盛り上がる力に推されて子どもは遊ぶ。それを通じて遊ぶ相手、遊び仲間を見つけ出し、新たな遊びを教わったり教えたりして遊びのメニューが増えて行く。遊びは実に多種多様な種類があるが、数多の遊びに次々と挑戦し、その過程でいろんなことを学んでいく。同時に遊ぶことを喜んだり、驚いたり、恐れたり、悲しんだりして子どもの心の深みが増していく。

 幼児期の遊びが少年期、青年期の「余暇」につながって行くのは見やすい道理だ。誰もが行かなくてはならない学校は単に学習の場としてだけあるのではない。学習の「余暇」には自分で選べる好きな活動にも打ち込むことができる。休み時間や放課後のクラブ活動、週末や夏冬の休暇は重要な余暇体験の場として見直されなくてはならない。そこで自由に選んだ活動の中には、教科書の学習では得られない多彩な学びもあれば(テレビに登場する「博士ちゃん」たちを見ると、子どもの知識と言えども半端なものではないことがよく分かる)、音楽やアートに見事な才能を発揮するケースもある。大人顔負けの趣味?碁や将棋などのゲーム類から、切手のコレクション、植物や昆虫採集、美術館、博物館めぐりなどに打ち込む少年・少女たちも少なくない。 学校で教わらないようなことこそ、本当に面白い―彼らは一様にそう証言している。

 学歴は職を得るための武器として重要だろう。職歴(キャリア)を積み上げることは、よりステータスの高い職場に向けて社会の階段を昇って行くために欠かせない。しかし、人生は仕事だけでできているわけではないのだ。この世に生まれてきたことを感謝し、悔いのない人生を生きるためには、自由な時間をどれほど自由に使いこなせたかが勝負になる。言葉を換えれば、どれほど豊かな「余暇歴」を書き込めたかということが人生の成功不成功を決めると断じてもいい。

 余暇歴の重さが痛感されるのは、リタイアした後である。職業人としての終わり=定年が、ほとんど人生そのものの終わりであったかつての時代と異なり、人生100年時代の今日、学歴や職歴だけでは長い人生を持たせることは難しい。引退して気づいてみたら、余暇は有り余っているというのに、その内容を埋めるべきプログラムが思い当たらないというのでは、あまりに悲しい人生と言うべきではないか。

 余暇歴は何歳になっても新たに積み上げることができる。はるか昔の子ども心を思い出して、さまざまなことに好奇心を燃やして、この世界をもう一度眺め直して見るといい。自分自身をもっともっと活かすことができそうなテーマや場所がきっとあるはずだ。新たな余暇発見のために手持ちの余暇を投資すれば、わが人生の価値をもう少し底上げすることができるはずである。


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