【つぶやき】
余暇と言ってもいろいろな余暇がある。
ぼんやりしたりのんびりしたりのお手軽な余暇から、
散歩や体操や読書や音楽鑑賞のような日常の余暇、
さらに、お金と時間をかけて旅行に出るような大掛かりな余暇もある。
フランスの社会学者ジョフル・デュマズディエは、
これらの余暇を、それに費やす人間的エネルギーに注目して
休息―気晴らし―自己開発の3つの段階に仕分けしている。
余暇はまず、忙しい仕事から逃れて、ゆっくりと骨休みをする時間であり、
元気が戻ってきたら、あれこれ楽しい気晴らしに時を過ごし、
さらに気力が充実すれば、自分なりに新たな目標を設定して
自分の可能性を追求する時間にもなるというわけだ。
【解説】
フランス人のデュマズディエは、当然フランス語で書いているので、余暇の3段階を3つのD(デ)で表している。
デラスマンは「休息する」という意味の動詞デラセdelasserの名詞形。語感からすると、日本語の「でれっとする」という言葉に似ていてちょっと面白い。
ディベルティスマンは動詞ディベルティールdivertirの名詞形だが、この語のもともとの意味は、他に転じる、そらすということ。注意をそらす、悲しみを他に転じて紛らせることから、人を慰める、面白がらす、喜ばす、つまるところ「気晴らし」ということになる。
デヴェロプマンのもとのデヴェロッペdevelopperは、畳んだものを広げる、巻いた綱を解く、腕を伸ばす、という意味(その反対のアンヴェロッペenvelopperは「包む」。英語envelope封筒はここから来ている)。そこから身体が成長したり、能力が発揮されたり拡張したりすることを指すようになった。余暇の自由な活動を通じて、自分の中に畳み込まれていた思いや能力が外に出てきて、自己が開発されるというわけである。
この3つのDは、前のものが次のものの前提になっている。休息が十分にあってこそ、体と心の元気が回復されて、いろいろな気晴らしに向かうことができるのだし、あちらこちらに目を向けて面白がってこそ、自分の内に秘められた関心や能力が目覚めてくるのである。過労死日本のように、休息も十分取れないような国では、気晴らしも断片的、刹那的、受け身的なものにならざるを得ないし、そこから開かれて来る自己も、あんまり大した自己ではなくなってしまう。
そういうわけでフランスは、デラスマンの休息の余暇を生活に欠かせないものとして重視してきた。それは1か月に及ぶ長いバカンスを早くから制度化してきたことに現れている。十分な休息と多彩な気晴らし活動、それによって一人一人の個性が輝きを増す。フランス人の方が日本人よりも個性的に見えるとしたら、それはバカンスの効用だと言ってもいいのではないか。