【つぶやき】
日本のいたるところに「里山」がある。
これは山深い「奥山」ではなくて、 町からちょっと足を延ばせば行くことのできる身近な自然だ。
大自然と都会の まん中にあって親しみやすい。
お金と時間をかけて遠くの大自然に分け入るば かりが余暇ではない。
身近な余暇の場として里山を見直そう。
【コメント】
東南アジアから初めて日本に来た人が高度を下げた飛行機の窓から外を眺め て緑の多さに驚いたという。日本人はその国の森を伐ってたくさん木材を輸入 しているので、国土にはロクに木なんか生えていないのかと思っていたら、案 に相違して大都市から一歩出ればどこへ行っても山があり緑の森に覆われてい るではないか! 確かに日本列島は緑の列島である。
日本人はあんまり意識していないが、日本の国土の67%は森林である。こ の比率は森の国フィンランドの次で、ドイツやフランスなんかよりも森はたく さんある。とは言え、山の国立公園の主要部分を占めるような見事な原生林と なるとこれは希少で(だからレクリエーション資源としても大切に守らないと いけない)、森の4分の3は杉やヒノキの植林か、一度、木を伐ってしまった 後に再生した二次林に過ぎない。「里山」というのは、だいたいこの二次林で 、たいして美しくもないから観光の対象になることはあまりない。
「山」は神様の棲むところ、そして「里」は人間の領分である。里山は山と里 が出合い、神様と人間が交流する場である。人間が里山を大切に守れば、神様 はさまざまな里山の贈り物を恵んでくださる。木の実もあり食べられる野草も あり、多少のリスクのあるキノコも生える。何よりも煮炊きに欠かせない薪が 得られる。そこに生えているクヌギやコナラの木は20年ぐらいで伐って炭や 薪にする。伐られても切り株から再び芽が出て枝が伸び、20年もすれば元の ような立派な木に戻る。クヌギ林を20か所に分けて毎年1か所づつ伐って行 けば、炭も薪も絶えることなく獲得できる。先祖たちはそうやって持続可能な エネルギー源を確保していたのである。
こうした里山は全国に6万ないし9万平方キロあるという。合わせれば九州 全体ぐらいになる里山が全国いたるところに存在している。暮らしの場の近く にそんな里山を見つけて週末にのんびり歩いてみたい。里山は観光案内に載っ たりはしていないから、自分で探すしかない。一見、何の変哲もない中途半端 な自然だから、有名観光地みたいな「すばらしさ」は感じられないかもしれな い。里山の楽しさ、面白さは自分で見つけ出したり、作り出したりするしかな い。でもそこにこそ与えれられたレジャーではない、主体的なレジャーを生み 出す可能性が秘められている。身近な里山で、あなただけのすてきな余暇を創 造してほしい。
《執筆:じぃ》