#052 クリスマス その1(2023年12月4日)

【つぶやき】

 ジングルベルが鳴り響き、クリスマス商戦で賑やかな通りを歩いていた男が教会の前を通りかかる。
彼は驚いた様子で「おや、教会でもクリスマスをやってる!」

 これはまあ、よく知られたジョークだが、実際、師走の風とともに、日本中がクリスマスモードに転換する。我が住むマンションの玄関には早くもクリスマスツリーが飾られ、赤や青の電飾が明滅している。


 それでいて日本におけるキリスト教徒は人口のわずか1%、新教旧教合わせても100万人ほどでしかない。
このことは笑うべきことか、嘆くべきことか…。

【コメント】

 キリスト教徒でもないのに、クリスマスを祝うなんて…とお堅いことは言いたくないが、それにしても日本は宗教的にはまことに奇妙な国である。赤ん坊が生まれれば神社に詣で、大きくなればクリスマス、結婚式はニセ教会で愛の誓い、それでも死ぬときは坊さんの先導で南無阿弥陀仏、神道もキリスト教も仏教も平和共存で、中東でのような深刻な宗教戦争はこの国では起こりようがない。

 信長-秀吉-家康の頃には、ポルトガル辺りからやってきたキリシタン・バテレンたちの努力によってキリスト教はかなりの信徒を獲得した。一説には50万人と言われ、当時の総人口が500万人ぐらいだというから相当の普及率である。その後の弾圧でキリシタンは一掃されたが、それでもかたくなに信仰を守り続けて明治につなげた隠れキリシタンもいたのである。明治以後は欧米から多数の宣教師がやってきて布教に努め、キリスト教系の学校も多く建てられたにもかかわらず、信者となったのはわずかである。

 現在、お隣りの韓国には新旧キリスト教合わせて1,500万人(人口の約3割)、人民中国だとて1億のクリスチャンがいるという。かつてスペインの植民地だったフィリピンなどは完全にカトリック国である。それに比べてわが日本は、頑としてキリスト教徒たることを忌避しながら、クリスマスは完全に生活化され、昨今はハローウィンまで取り込んで、こちらは仮装での街歩きやカボチャのランタンが流行っている。
いやはや、笑うべきか、嘆くべきか。

 クリスマスを筆頭に日本の宗教生活を「余暇」の文脈で考え直してみよう。一般に社会の発展と成熟とともに、宗教の世俗化が進むことが観察される。日本は江戸時代以来、世界に先駆けて宗教が持っている反体制的な牙を抜き、峻厳な道徳的規律を和らげ、宗教の中にある楽しみや遊びを前に出して生活の中に定着させてきた。言わば「宗教の余暇化」を推し進めたのである。

 ヨーロッパで新旧のキリスト教徒が血腥い殺し合いに明け暮れていたころ、日本では天台真言の旧仏教も、戦国期には一大勢力となった本願寺の門徒たちも、あるいは禅宗も日蓮宗も村々の神社や各地の大社(おおやしろ)も、みな幕藩体制に組み込まれ、温和で落ち着いた宗教生活が定着していった。
宗教は日常を活性化してくれる祭りや遊びの時となり、欠かせない余暇の一部となって二百数十年の平和を支えたのである。その伝統の上に、明治以降はキリスト教が接ぎ木されたと見れば、クリスマスの繁盛もわからないでもない。

 クリスマスは「救い主」キリストが降誕した祝いである。子どもの誕生は誰にとっても大きな喜びに違いない。信仰なきわれわれ日本人がキリスト誕生にかこつけて我が家の子どもたちを慈しみ、愛情にあふれた家庭を寿ぎ、ついでに美味しい料理とケーキに舌鼓を打つ日としてクリスマスを歓迎したのは当然のことであった。

 サンタクロースのプレゼントを仕上げとするクリスマス・ストーリーは、いまや我々の余暇生活のハイライトのような位置を獲得しているのである。わが国の「聖しこの夜」に祝福あれ!

《執筆 じい》


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