【つぶやき】
余暇もあれこれある中で、睡眠こそは極北の余暇である。
眠っているだけで何にもしていない、何にもできていない…と思うかも知れないが、
さにあらず、身体も精神も目覚めたときの準備に忙しいのだ、
それはちょうど幕が開く前の舞台裏みたいなものだ。
【解説】
睡眠時間というのは一日24時間のうち、3分の1近くを占めている。
1年に直せば4ヵ月は寝ているのだし、人生80年の一生のうち、26年ぐらいは寝て暮らしているのだから馬鹿にできない重みがある。「寝る間を惜しんで」働いたり、「寝食を忘れて」好きなことに打ち込んだとしても、まったく眠らないでいることはできない。
拷問のうちでもっとも耐え難いのは眠らせないことだという。
警察でもかつては被疑者を眠らせないで四六時中尋問を続けるような取り調べが行われていて、これをやられるとどれほど強靭な精神を持っている人でも「落ちて」しまうということだ。
長い睡眠時間の中で、われわれの身体は頭のてっぺんから足の先まで、組織の総点検を行い、必要な補修や補強を行っているのであろう。
どなたもご存じのように、鉄道の補修は終電車が走り去った真夜中に行われるわけだが、大勢の作業員がテキパキとことを運んでいる。身体の中でも同様に、目覚めている時の諸活動によって疲弊した筋肉や内臓のケアが行われている。
これを怠れば生体は活力を取り戻せず死んでしまうのだ。灰色の脳細胞も例外ではない。起きて活動しているときに取り込んださまざまな雑多な情報を取捨選択して整理し、必要だと思われる情報はニューロンの絡み合いの形で保管するのである。これには相当の時間がかかるに違いない。
時々、そうした情報の切れ端が余計な方面へ流れ出して意識を担当するニューロンに引っかかる。
それが「夢」というもではないのか。夢の内容は大体において荒唐無稽・支離滅裂で、さほど有益な意味があるとは思えないが、時には埋もれていた懐かしい記憶が呼び出されて、亡くなった父母と再会できたりもするので、睡眠の楽しみの一つに加えてもよいだろう。
ともかく、眠ることは人生の重大事である。
よい眠りを眠ることは人が幸福であるために欠かせない条件である。
そして良い眠りは、目覚めているときのよい体験、その中でも余暇体験と深いかかわりがあるように思われる。
自由な時間の主体的かつ共同的な楽しい体験は、身体と心をリクリエイト(再創出)する質の高い眠りと結びついている。
哲学者の鶴見俊輔さんが言っている、「眠りの深さが世界の意味だ」と。
執筆:じい