#040 どうする?夏休み その1(2023年8月4日)

【つぶやき】

何ともクソ暑い日が延々と続いている。

大雨で家が流され人が死ぬ地方がある一方で、東京は涙雨さへ降ってくれない。

これは思うに猛暑でもしゃにむに働き続けるわれらへの天の警告に違いない。

夏は休む季節だ、子どもたちと一緒に夏休みをちゃんと取りなさい…と。

【コメント】

 昔々、かく申すジイが子どもだったころ、夏休みはまさに天国だった。あのしち面倒くさい学校に行く必要はなく、朝は好きなだけ寝ていていいし、遊び仲間は近所にいくらでもいたし、下町の子だったが自転車で数キロ走れば田んぼと里山の続く農村地帯で、小川の中をじゃぶじゃぶ歩きながら魚を追いかけたり雑木林でカブトムシを探すこともできた。夜になれば庭で線香花火に興じ、毎土曜日の夜には街の通りに夜店が出て、映画の寅さんみたいな香具師が怪しげなものを売っていたり、毒々しい色の氷水を口の周りを赤く染めて飲んだりした。

 唯一めんどうなのは夏休みの宿題というやつ。今の子どもたちを見ると漢字の練習帳だの算数のドリルとか自由研究とかずいぶんたくさん抱え込まされているが、昔は絵日記と紙工作ぐらいだったと思う。日記を書くのは好きだったが絵が苦手なのでついおろそかになり、1週間もため込むと書くのがたいへん、どの日もおんなじになってしまって困ったものだ。楽しい時間はあっという間に過ぎ、8月の終わりになると「地獄」が待っていた。やり残した宿題に追われるのはともかく、学校が始まる、と考えただけで、何とも重苦しい、この世の終わりのような気がしたものだ。

 この国では「夏休み」というと子どもの専売ということになっている。大人たちの辞書には「夏休み」という用語は掲載されていないらしい。夏の休みはあってもお盆前後の数日、せいぜい1週間が関の山、それものんびり、好きなように過ごすというより、お土産を買いこんで帰省する日、田舎のおじいちゃんおばあちゃんに孫の顔を見せに行く日で、新幹線も高速道路も超満員、超渋滞になって汗だくであわただしく駆け回る「民族大移動日」になっている――いま田舎と書いたが、最近は文字通りの農村部の田舎なんかがある人はむしろ稀で、親元が都会のマンションだったりして、そこに地方に赴任した息子や娘が子連れで押しかけてきて、ジジババは応接に暇(いとま)あらずというのが実情のようだ。友人の老夫婦はお盆休みを終えて子どもと孫が帰っていくと心底ホッとすると語っている。そこからが彼らのホントの夏休みであるとのことだ。

 翻って欧米を見てみよう。「夏休み=バカンス」というのはもちろん勤労者の辞書に登録された用語である。フランス、ドイツ辺りは4週間、北欧となると6週間もの長い休暇が働く者の権利として与えられる―いや、権利などと主張しなくても当たり前の生活習慣として定着している。子どもたちの学校も当然それに合わせて休暇に入る(教師も勤労者だから夏休みは必然だ)。家族そろって自然の中で何もしないでのんびり暮らしたり、あるいは子どもはこの時期あちこちで開かれる林間学校に放り込んで、夫婦水入らずで憧れの日本に出かけたりする。これは人間が人間らしく暮らすためにはなくてはならないプログラムと考えられている。まとまった自由な時間がなくて、どうして人は豊かな心を養い、他者との利害を超えたコミュニケーションを結ぶことが出来ようか。

 いまこそ、すべての日本国民に問います。「あなたはどうして休まないの?有給休暇は少なくても2週間はあるでしょう。それを目いっぱい使って、何にもしない、昔の子どものころの夏休みをどうして取り戻さないの?」

執筆:じい


Contact Us

東京都日野市百草1002-19
info@yoka.or.jp

Top