#071 里山&里海 その2(2024年6月14日)

【つぶやき】

「里海」は「里山」ほど聞きなれた言葉ではないだろう。

しかし日本のいたるところに「里山」同様「里海」がある。

「里海」は、人と大海原の大自然との中間地。

海の恵みは豊かな食文化を生み、海と共に生きる人々の文化を育んできた。

環境保全と「里海」の多様性は、余暇の創造性を広げられるだろうか。

【コメント】

 前回のじいのつぶやきに、「『里山』は神様と人間が交流する場であり、里山を守れば、さまざまな贈り物を恵んでくださる。そんな里山を歩き、楽しみを見つけ出そう」とあった。そんな里山同様、海に囲まれた日本では「里海」というのも我々にとって大切な場だ。ここでは「里山」に対抗して「里海」の余暇を語ってみたい。
 水辺は異界との境界線だったころ、流れついたものを神としてお祀りした神社は多い。また、ご神体を船に乗せて海に入る海上渡御や潮ごりなど、海は禊の場で、全国各地のお祭りとも関係が深い。何より古くから里海は、水産や流通・交通を支えてきた海域である。最近は魚を余り食べなくなってきたようだが、魚や貝や海藻は、海からの恵みだ。勿論、釣りや海水浴やマリンスポーツなど余暇活動にも欠かせない。

 筆者の時代のトレンディドラマでは、海のシーンがよく登場した。彼女の「海が見たい」の一言で、車を飛ばして海岸までドライブした二人は、明るい気持ちで将来を語り合う。あるいは一人で海を見つめて、何をか心に固く決意する潔い場面。海には不思議な力がある。水面にきらめく光、水面を渡る爽やかな潮風、潮の香りや潮騒が心を癒し整えてくれる。
 海に限らず川も含めて、水を眺めると人間はリラックスし、心拍数や血圧が下がることがわかっている。心を落ち着かせるマインドフルネス効果は抜群だ。だから里山を歩くのと同様、里海を歩いてみるのも、最高の余暇だ。

 今全国で里山や里海を取り戻そうという動きがある。環境意識が高まったこともあるだろうが、身近な自然を発見し、その多様性の奥深さを再認識し、活用しながら美しい景観を守ったり、楽しんだりしたいという思いが強くなってきているように思える。

 筆者は東京湾に面した埋め立てのまちに住んでいるが、そんなところでさえ侮るなかれ、干潟が4キロ続き、800種類以上の生物が生息している。東京湾といえども、水の透明度は高い。干潟は、潮の満ち引きにより浅瀬が出現する砂泥地であるが、二枚貝や底生生物が陸から流れ込む物質を分解するため、水質浄化機能が高い。干潮時には、貝殻の島が出現する。そこでは、死んだ貝を食べる干潟のお掃除屋さんアラムシロや海の汚れの原因となるプランクトンを食べるコメツキガニが活躍し、海を綺麗にしてくれる。ムニエルにして食べると美味しいスズキなども近くで獲れ、魚を目がけて水鳥も集まる。生態系や物質循環はうまくできており、知れば知るほど興味深い。
 休日ともなると、子どもたちはぬめっとした海に入り、カニやエビや貝を見つけて大はしゃぎする。釣り糸を垂れて日がな一日過ごす人もいれば、立派な望遠レンズつきカメラで水鳥を追う人やスケッチをする人もいる。生物観察会や体験学習、海岸清掃などに参加するのもいいだろう。身近に自然とふれあい共生する場は、好奇心や探求心がくすぐられる。「里山」同様「里海」も素敵な余暇を創造できそうだ。

《執筆:マダム》


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