#136 賭け その3(2026年3月24日)

【つぶやき】

「賭け」のおもしろさはどこにあるのか? 結末が決まっているものには賭けようと思わないし、賭けになり得ない。先が見通せないハラハラであったり、思いがけない結末であったり、期待の裏切りがあっての賭けだ。
「予想」や「推測」があったうえで、その通りにはならないこと自身をも楽しんでいるのが賭けといえるのではないか。

【コメント】

 これまでにジイとマダムが取り上げたように、「賭け」にはずいぶんと長い歴史がある。かたちを変えながら、しぶとく生き残り続けているともいえる。その不確実性が喜びと驚きをもたらすから、支持されているのだろう。とはいえ、まったく期待や予想ができないものは賭けとして楽しみきれないところがある。
 先日、連続ドラマで競馬が取り上げられていた。競馬はなかなか触れる機会がなく知識不足だったためついていけるか不安だったが、ストーリーに引き込まれて毎週楽しみに視聴していた。そのなかで印象に残っていることのひとつが、競馬における血統の重要性である(ドラマのテーマとしても重要なポイントになっている)。馬の品種の「サラブレッド」には「純血」の意味があり、競走馬として交配された馬の子孫たちが、各地で活躍しているのだ。しかし、血統として強い馬が勝つとは限らない。そこには「必ず」や「絶対」はなく、当日の天候や馬・騎手のコンディション、得意・不得意など、さまざまな要因が絡み合って、勝敗がつく。そのような予測を超えたところに、喜びやロマンを感じることもあるのだと、フィクションの世界を通して追体験することができた。
 かつてハルウララが連敗を重ねていた時に、多くの応援が集まっていた。これは賭けの点だけでいえば、不思議な現象であった。勝てない馬に賭けるのは不合理だからだ。負けても走り続ける姿に勇気をもらったという意見も見かけたが、そうだとしてもあそこまで人気だった理由は当時よくわからなかった。しかし、今回競馬の世界をほんの少し知ったことで、馬の持つ歴史を踏まえてそれでも賭けてみたいと思わせる魅力を持った馬だったのかもしれない、と新たな視点で振り返ることができた。
 競馬をモチーフにしたゲームやコラボイベントなどの影響もあってか、最近は若年層の競馬ファンも増えているようだ。たとえば、中央競馬(JRA)では女性の競馬ファンに向けたアピールを積極的におこなっており、UMAJO SPOTという専用スペースも整備している。賭けに限らず、競馬場をひとつのエンターテインメント施設として整備し、幅広い「応援」にフォーカスをあてた広報戦略も進められている。ギャンブル依存症の問題は根深く、もっと賭けをしましょう、という立場ではないのだが、賭けには勝ち負けを越えた面白さがあることは覚えておきたいと思う。 

《執筆:ヒメ》


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