#121 働き方と余暇 その1(2025年11月4日)

【つぶやき】

新たな首相は労働時間規制緩和を推し進めるようだ。
これは、余暇について考える私にとって見過ごせない。

「働きたい人がもっと働けるように」ということらしいのだが、実際は「働かなくても済むなら労働時間は延ばしたくない。

でも暮らせるほど稼げないので働くしかない」という話で、余暇の視点を持たなくとも、何だかおかしな話になっていると感じるのではないか。

【コメント】

 「労働以外の時間=余暇」というのは単純化した考え方であり、「自由」や「楽しみ」という要素に注目すれば、労働のなかにも余暇が、余暇のなかにも労働的な側面が存在しうるとの指摘もある。そこまで厳密に定義しない場合でも、実際の生活では余暇と労働が明確に区分できないことには多くのひとが同意するだろう。とはいえ、労働時間が長い場合には、余暇を充実させることは非常に難しい。

 これまでもつぶやき余暇で取り上げてきたように、余暇に何をしようか…と思考を巡らせる時間的・発想的・経済的余裕がなければ、何事にも取り組めない。また取り組まないことを決めるにも、「空いた時間があるなら働かないと!」と考えずに済む余裕が必要だ。介護や育児、仕事以外にチャレンジしたいことに取り組む働き方として週4日労働が話題になり、実際先行事例も出てきているなかで、今唱えられている発想は明らかに逆行しているといえよう。

 労働問題については識者が「高市首相!労働時間規制緩和は「愚策」です。」との記事を公開している。問題の詳細はリンク先を参照してもらいたいのだが、重要なのは「大好きな仕事で長時間労働していても、脳心臓疾患による過労死や、精神疾患に罹患することは珍しくない」ということだ。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/9c6cf8de6bd637f0ec6521936691b57f13d0e7f8

 過労死が社会的な課題になっているだけでなく、女性の家庭内労働が非常に長く、まだ把握しきれていない過労死があるのではないかとの指摘もある。さらに毎年敬老の日頃に発表される、働く高齢者の多さについても、「生きがい」「地域とのつながり」といった聞こえの良い言葉で覆い隠されていることがあるが、実際のところは「働かないと暮らしていけないから」というケースが多いことは十分推測できる。

 以前、筆者は「余暇・自由時間の活用以前の問題として、現代の日本では「休息や休養」が足りていない状況がある」と指摘した。そして1986年の『人生80年時代における労働と余暇』で掲げられていた「生涯教育(学習)、生涯労働、生涯余暇」のうち「生涯余暇」が一番遠のいていると説明した(青野桃子「余暇・自由時間とウェルネスーシリアスレジャーと自由時間政策から考える―」『スポーツとウェルネスのイノベーション』2023年、創文企画)。

 最初は「生涯労働だけが実現されそう」との内容を書くつもりであったが、さすがに言いすぎかと思い、裏返して控えめな表現にしたのだ。しかし、最近の状況を見ていると、私が書こうとしていた暗い未来予測のほうが当たってしまいそうなのである。2025年6月24日のつぶやき余暇で「「役に立つ」ことが求められる現代においては、「一見なくてもよさそうな余暇」について真剣に考えること自体がカウンターになる。」と宣言した。労働について研究するのとは少し違った余暇の観点からも、労働時間の問題は指摘し続けていくつもりだ。

《執筆:ヒメ》


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