じい・マダム・ヒメによるリレーエッセイ

「つぶやき余暇」

毎月4のつく日は”よっかネタ”配信日!
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毎月ひとつのテーマを、世代の異なる3人の余暇研究者が執筆します。
じい(薗田碩哉)・マダム(辰巳厚子)・ヒメ(青野桃子)

#020 余暇の原点は子どもの遊び(2022年5月14日)

Posted by admin|  Posted on 2022/05/14 18:00

春の天気は変化が激しいが、良い天気に恵まれるとホントに気持ちいい。 公園に行くと緑の芝生の上で、子どもたちが嬉々として遊んでいる。 中でも目立つのは、若い母親、父親に連れられた、いたいけな幼児たちだ。 よちよち歩いてすっころんで、それでもニコニコと立ち上がり、また歩き出す。 小さな身体いっぱいに、動くこと、遊ぶことの喜びを表して飽きることがない。 子どもたちはそこから出発して、どんどん遊びの中身を豊かにしていく。 身体を動かす遊びはもちろん、心を豊かに、頭を耕すいろいろな遊びに挑戦する。 それは少年期、青年期を経て、成人になってからの余暇生活につながって行く。 余暇の原点は、まずは子ども時代の遊びをしっかり遊びつくすことにある。 だが、いま、子どもの遊びはピンチ、それも大ピンチだ。 今の子どもたちは、私たちが子どもだったころに比べると、ホントに遊べているのか疑わしい。 確かにおもちゃも運動具も自転車も、いろんなモノは持ってはいるが、 仲間を集めて、自由に、勝手に、好きなように、心ゆくまで遊べているのかというと、 どうもそうではなさそうだ、いや断じてそうではない。 子どもの遊びは大人の世界に囲い込まれ、その商売の道具にさせられているのではないか。 それは大人の余暇のあり方にもつながっている。 子どもの遊びこそが余暇の原点だからだ。

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#019 こま切れ余暇からまとまり余暇へ(2022年5月4日)

Posted by admin|  Posted on 2022/05/04 18:00

時はいま、5月の大連休の真っただ中、 昨年も一昨年もコロナで身動きがとれなかったゴーデン・ウィークが3年ぶりによみがえって、 コロナの怖れは払拭されてはいないものの、観光地はどこもそこそこの賑わいのようだ。 週休2日制さえ、完全に定着しているわけではない余暇貧国ニッポンでは 連休というと、それだけで何となく嬉しい気持ちになるが、 憲法記念日 ? みどりの日 ? 子どもの日と続く押しも押されもしない3連休は 新緑の美しい5月の気候とも相まってお祭り気分を味わわせてくれる。 多くの勤労者は休日と休日に挟まれた平日は休日という「オセロゲーム」みたいな発想で 有給休暇を申請して10連休を作りだし、ちょっとしたバカンス気分も味わう人もいる。 そこでしみじみ感じることは、余暇というのつながって長いところに価値がある、 半日とか1日ぐらいの余暇は、余暇の断片に過ぎないということだ。 余暇は長く繋がってこそ価値があるのだ。

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#018 田舎の余暇と町の余暇(2022年4月24日)

Posted by admin|  Posted on 2022/04/24 18:00

イソップ物語の中に「田舎のネズミと町のネズミ」というお話がある。 大要はこんなストーリーである。 田舎のネズミが仲のよい町のネズミを自分の住まいに招待した。 畑の中で麦やトウモロコシや大根をふるまったのだが、 町のネズミは、これをバカにして、自分の所に来ればもっとすごいご馳走があると 田舎のネズミを町に呼んだ。 町のネズミの住まいに行くと、確かに食卓にたくさん食べ物が並んでいる。 喜んで食べ始めると、そこに人間が入って来て、2匹は慌てて逃げだす。 様子を見てまたご馳走にありつこうとすると、またまた人が入って来る。 隙を見て、あたりを警戒しながら食べるので、気が休まることがない。 田舎のネズミは言った。 「ご馳走はあってもこんなに危険なのはごめんだ。  僕は、田舎の畑でのんびり食べているのが性に合っている。  今日はありがとう、さようなら」 このお話は、現代人の「余暇」にも当てはまるのではないだろうか。

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#017 誕生日はわが余暇の日(2022年4月14日)

Posted by admin|  Posted on 2022/04/14 18:00

本日4月14日という日は、世間的には、別段なんということもない日ではあるが、本欄としては特別な日なのである。 すなわち、本欄の筆者、余暇人碩翁が生まれた日である。 今回の碩翁の誕生日は、生まれたその日を1回目として数えると 実に80回目という節目の日になる。 昔の「数え年」の習慣からすれば、めでたく傘寿を迎えた誕生日ということになる。 誕生日は、社会のではなく個人の祝日である。 天皇さんやお釈迦さまやキリストならば、個人の誕生日が国の祝日にもなるのだが、フツーの人の誕生日は、家族や友人が祝ってくれるだけのことだ。 それでも誕生日は、その人の原点の日として大切なものである。 そして余暇の原点も誕生日にある。

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#016 長屋の花見を取り戻そう(2022年4月4日)

Posted by admin|  Posted on 2022/04/04 18:00

東京の周辺はいまや桜の満開の時期、 上野公園、千鳥ヶ淵、隅田川の河畔など桜の名所は 多くの花見客であふれている。 とはいえ、執拗に続くコロナ禍のもとでは、 かつてはどこの桜の下でも常態だった飲めや歌えのどんちゃん騒ぎは影を潜め、 ビニールシートを広げ輪になって座っているグループはそこここにいるものの 至っておしとやかに、缶ビールをつつましく飲んでいるだけだ。 それでもやはり春は花見である。 連句の世界では、花と言えば桜に限るという約束があり、 花びら、花房、花の香、花筏、花明り、花の雲… これがみんな桜のそれぞれを意味している。 桜は余暇のシンボルである。 春の青空をバックにあでやかに咲き誇る桜は、 眺める人々のこころを癒し、友との交わりを祝福し、 自由にのんびりと酒を飲み、手作り料理を味わい、 平和と交流の喜びを与えてくれる最高級の余暇である。

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