#111 ゲーム その3(2025年7月24日)
Posted by | Posted on 2025/07/24 8:00
ゲームと言えば思い出すのは子ども時代の盤面ゲーム。それに続く、青春期の人間交流型のゲーム。そしてテレビゲームから始まって、今やそれなくしては日を送れないさまざまなITゲーム。人の一生をさまざまなゲームとの付き合いの歴史として見ることもできる。いやいや人の一生こそが変幻自在の尽きないゲームなのかもしれない。
毎月ひとつのテーマを、世代の異なる3人の余暇研究者が執筆し
じい(薗田碩哉)・マダム(辰巳厚子)・ヒメ(青野桃子)
Posted by admin | Posted on 2025/07/24 8:00
ゲームと言えば思い出すのは子ども時代の盤面ゲーム。それに続く、青春期の人間交流型のゲーム。そしてテレビゲームから始まって、今やそれなくしては日を送れないさまざまなITゲーム。人の一生をさまざまなゲームとの付き合いの歴史として見ることもできる。いやいや人の一生こそが変幻自在の尽きないゲームなのかもしれない。
Posted by admin | Posted on 2025/07/14 10:00
ゲームはスポーツの領域にも入ってきている。家庭用ゲーム機を使ってテニスやバレーボールをしたり、スマホで野球やサッカーをするひとも多い。またeスポーツも身近なものになりつつある。今後はパラスポーツとの融合も広がっていくかもしれない
Posted by admin | Posted on 2025/07/04 8:00
デジタルゲーム優勢の時代にあっても、アナログのボードゲームやカードゲームの人気は根強い。 アナログゲームは、手触りのあるコマやカードを囲み、笑ったり、驚いたり、悔しがったり、感情を共有するところに価値がある。 参加メンバーによって、独自のルールを作ったり、自分たちに合った楽しみ方を模索したりと柔軟性も高い。 だから、タイパ時代にあっても魅力は褪せないのかもしれない。
Posted by admin | Posted on 2025/06/24 8:00
「真面目に不真面目」。 余暇について考えることには、こんな複雑さがある。学問的には多領域にまたがるものであり、実際の活動を考えてみると労働や生活、さらには人生にかかわってくる。 しかしそれを「評価」や「価値」の問題だけで考えるとどうしても「余暇の活用」となってしまい、余暇の重要なポイントである「自由」が損なわれてしまう。自由なままで、余暇について議論していきたい。
Posted by admin | Posted on 2025/06/12 20:51
「余暇学」は、余暇の社会的格差、政策・制度的背景、消費依存やレジャー産業の商品化などに対して、多面的かつ批判的なまなざしを併せ持つ学際的領域である。 そのなかで、人間中心的、文化的に「余暇学」を語るなら、人間が自己や社会と向き合う時間としてのその意義を探究し、身体性・精神性・関係性の回復を試みること、また、労働とのバランスをとった人間らしい生活の実現や、西欧の余暇哲学だけでなく、日本的な美意識(もののあわれ、余白、間など)を現代生活に活かすことも重要な関心領域だ。